うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

痛みと共に生きる

輝け元気!ブログ » Blog Archive » 抑圧って何?防衛機制って何?

わたしも祖母が亡くなったショックを抑圧していたことになるのだろう。
高校2年生の頃、まるで母親のように感じていた祖母が亡くなったショックは当時あったのだが、あまりにも衝撃が大きかったのでしょう、悲しむ間もなく感情を心の奥底へと追いやりフタをしたのが分かる。
人として当たり前に悲しまなかった。
この先しっかり生きていかなければならないという気持ちで圧し殺していたような気がする。

無意識の防衛機制の抑圧と意識的な否認。
この二重のロックをかけたものが、わたしがうつ病を患ってから10年以上経ってからふとしたきっかけで、ロックが解けて涙してからが地獄のような苦しみを味わった。
わたしの場合は別の理由でうつ病を患い、心理的に衰弱したことがきっかけで、過去の傷つき体験群のフタが開き、そのときに一番奥底に追いやっていた祖母が亡くなった悲しみとも直面することになったのだろう。

直面した当時は罪悪感や怒り(恨み)そして後悔など、ありとあらゆる負の感情が極限まで膨れ上がっていた。
それだけに留まらず、とても些細な傷つき体験すら現実とリンクして過剰に反応する日々。
日常生活なんて送れたものではなかった。
これら感情群と向き合いつつ、それなりに日常生活を送りつつ、同時に悲しみと向き合うための手段としてのグリーフケアを学びながら、どうにか感情と向き合おうと必死だった。
ま、感情が爆発しすぎてお世辞にも向き合っていたとは言えない。
しかし、一人でよくやったとは思う。

フラッシュバックの大嵐だったぜw
内面から押し寄せる感情から何度も殺されるかと思ったほどだw
しかも、何度も繰り返すうつ病背負いつつ、対人恐怖の大ボスである女性に対する見捨てられ不安も極端なまでに感じ、かつ『自分でも分かるほど』劇的に精神的に退行していた。
こんな状態じゃ「死にたい」が大暴れするのが当たり前w

ほんと、内側からも外側からも同時にあらゆる苦しみが押し寄せていたあの状況を生き延びられたのは奇跡に近い。
もはや、何も信じられるものなど無いという感覚のもと、上に書いた『自分でも分かる』という自らを感情から切り離したところで俯瞰したところから観察する部分(観察自己)がなければ、とっくのとうに死んでいたでしょう。
幸い、わたしはアダルトチルドレンなため、そもそも感情に疎く、感情とは違う部分、つまり客観視する部分を使い生きるという人間らしくない生き方をしてきたがために、それが奏功したのだと思う。

ちなみにアダルトチルドレンのカテゴリでいうとわたしはどちらかと言うと“ロストワン(いない子)”であり“心の中で遊ぶ平和主義者”らしい。
ちなみに、他者を世話するケアテイカー、成功者を演じるヒーロー、反社会的なスケープゴートなどなどこれら全ての特性もかいつまんで合わせ持っているなと自覚している。
しかし、わたしは基本そこにいながらにしていない存在感の薄い人間なことは確かだ。
今ではそうでもなくなってきたが、この生き方が染み付いている。

うつ病になったそもそものベースにあるものが“アタッチメント(母子の愛着)”にあり、そこには母親と祖母との関係がからんでいて、祖母との関係がキーになっており、祖母が亡くなったことによる悲しみに直面したおかげで、一気にわたしの回復が進んだことは事実。
もって生まれた繊細な気質とそれなりの家庭環境が織り成して発病したうつという病。
派手な環境ではなくて、どこの家庭にもありそうなものであることが発端となっているということがポイントで、健康な精神状態を維持できている人も実は紙一重なのだなという風にわたしは思うようになった。

最近の人生は回復のために全部を注いだ。
しかし、裕福ではないため、自分でやれるところはやらざるを得なかった。
追い詰められながらの独学である。
しかし、今思えば自らが自らを知ろうとすべく学ばなければ回復はなかったことを実感している。

直近では昨年精神科デイケアうつ病回復プログラムも受け、ACAというアダルトチルドレン自助グループにも毎週通っている。
東北の片田舎のこの地では自助グループはあまり知られておらず、参加人数は少ない。
わたし一人で場所を開ける日もよくあるほどだ。
しかし、これは必死に独学をしていた頃と同じく誰のためでもなくわたしが回復し続けるために必要だからやっていることなので、一人になろうが構わない。
寂しいのは確かだけどw

最近では自助グループのサービス提供の仕方を学ぶべくAA(アルコホリックアノニマスアルコール依存症当事者の自助グループ)とNA(ナルコティックアノニマス、薬物依存性当事者)にも足を運び、分かち合いに参加している。
(世の中には他にも、GA、SA、EAなどの12のステップをやるアノニマスグループがあるらしく、いつか参加してみたいと思っている。ちなみにアルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症それぞれに対応した家族のアノニマスグループもある。アノニマスグループの価値は「何者でもないわたし」がありのまま受け入れられるところにある。悩める人の物理的な居場所であると同時に心の居場所ともなる。)
参加していて分かったのだが、依存症者のベースにあるのはアダルトチルドレンという傾向ですから、彼らはACであるわたしとほとんど似通った気弱な方たち。
アダルトチルドレンとはいえ皆と同じ人間。
ですから、彼ら依存症者もわたしたちと何ら変わりない弱さを抱えて生きる人間だというこだということを実感しています。

依存症は病気ですが、現代は依存対象が多いことと皮肉にも社会をあげて知らず知らずのうちに依存症者を生産しまっている側面もあるとわたしは感じている。
(依存症抜きにしても、自助グループで使っている“12のステップ”は自立と成長の観点からわりと幅広く効果あるのではないかと思う。)
オープン参加できますので、ご興味のある方がいらっしゃいましたらいかがでしょうか?

こうやって振り返ってみると、数々の奇跡の連続の上で生かされているのだなと改めて感じる。
しかし、わたしは苦難を乗り越えてなどいない。
今でもあの数々の痛みと共に生きているのだ。
大切な人を傷つけ続けているということも含めて。

だが、痛みは忘れてしまう(抑圧)よりどうにかして受け入れてしまう方がいい。
やり方は様々あるでしょう。
自助グループで使う“12のステップ”もそのうちの一つ。あれは依存症回復のためのものではなく、もはや与えられた人生そのものを受け入れて生きるための知恵であると確信している。)

痛みがあるから他者に対する思いやりが深くなるし、感謝の気持ちもとても深いものとなり味わうことができるもの。
やがては、自分の傷や弱さを受け入れたことを通して、他者の弱さや存在そのものを愛し慈しむことへとつながるだろうとわたしは信じています。

わたしにとって人生でやるべき最大の仕事。
それは、何かの職に就いてお金を稼ぐことではなく、人間としての弱さを抱えるわたしを見捨てることなく愛することである。

そして、今では祖母の存在に守られていたのだなと感謝できるようにまでなった。

ハイヤーパワーの導きに感謝です。
ありがとうございました。