うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

境界性パーソナリティ障害とわたし

https://www.npwo.or.jp/info/5185

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よし、届いた。
オレにしては珍しく目を通した。
ざっとねw

読んでいて少しなつかしく感じた。
わたしもうつ病と診断されて18年目なんですが、近年心療内科で続けていた受け身の受診では再発を繰り返すばかりで途方にくれていた。
そんな折、2年前に休職して追い詰められてから、うつ病治療専門の精神科デイケアに通所することになったりアダルトチルドレン自助グループに通うようになったことがきっかけで、一気に回復が加速した今がある。

それ以前に、対人関係の悩みからくる苦しさをどうにか払拭したいという思いから、心理学や愛着障害、パーソナリティ・ディスオーダーの本などを読み漁っていた時期がある。
このときも追い詰められていてまさに必死だった。
あの頃は、現実の苦しみから逃れたはずが、本の世界にはわたしの弱点がびしばし書いてあり、強制的に自分と向き合わされていたように思う。

その期間に境界性パーソナリティ障害の回復した当事者であるリネハンさんが設計した“弁証法的行動療法”というものに出会い、憧れいつか治療でマインドフルネスを受けてみたいと強く願ったものだ。
その数年後には、実際に精神科デイケアで受ける機会に恵まれましたから、わたしにとってこれは奇跡に近い出来事だった。

長々と恐縮ですが、わたしのメンタル不調や体の不調の根底には生い立ち由来の“愛着(アタッチメント)”に問題があると、だいぶ以前から直感で気づいていたにせよ、当初は素人のわたしにはどのようにして回復に向けて歩んだらいいのかすら見当がつかなかった。
しかし、この直感をあきらめずに持ち続けていたところ、気づいたら自ら具体的に理解するための材料が目の前に現れ続け、自分なりに理解するに至った。

この東北の片田舎では満足に治療を受けられる場が乏しいため(わたしが知ら

ないだけで実はあるのかもしれないが)、それなりにではあるが自分でやらなければならなかった。
(と、いうよりは、人生に追い詰められてやるように迫られた感覚がある。)

長くて堅苦しかったw

境界性パーソナリティ障害周辺のモデルは大変参考になっている。
確実にわたしを回復へとつなげてくれています。

2枚目の写真にある、
『●BPDの病態①対人関係の障害②行動コントロールの障害③感情コントロールの障害』
これら全てがだいたい自分に当てはまっていた。
(追い詰められるまでは自覚ありませんでしたから、悩みどころです。
自覚するのって大変なのかもしれませんね。
もっと早くに気づいていたら、回復へと糸口ももっと早く見つかりこんなに苦しまなくてもよかったかもしれない。
しかし、苦しむことを通してこういうモデルと出会ったのだから、それもまた意味のあることだったと思いたい。)

それと、写真3枚目にある、
『治療の原則:すべてのチャンネルを使う。』
『すべての機能領域や場面が治療の舞台となりうる。』
この発想もいつしか芽生えていて、日常を対人関係の訓練の場だとわたしなりに設定をして取り組んだりもした。
(今でも続けている。ちなみにデイケアでもSSTをやる機会に恵まれた。)

医療的には“うつ病”(それと“社会不安障害”と“適応障害”診断されたことも)と診断されましたが、そのベースは“パーソナリティ障害”や“愛着障害”由来。
多少使い古された感もあるかもしれませんが、性格傾向としてはアダルトチルドレンそのもの。
発達障害”ぽいところも見いだしているし、最近出会ったものではどうやら“HSP(Highly Sensitive Person)”だったのかもしれないと思うようになってきた。

余談ですが、アダルトチルドレン自助グループ(ACA)では心理療法的なテクニカルなことは一切せず、内面に重点を当てるやり方をする。
基本的には参加者が全員当事者であり、その人たちが集まるミーティングで体験談が言いっぱなし聞きっぱなしで行われる。
アルコール依存症の当事者グループ(AA)由来の『12のステップ』を各々が理解し生活の中で使用する仕組みだが、わたしにも効果がある。
あくまでもわたしの印象だが、BPDの「②行動コントロールの障害」がわたしの依存症の症状と一致する。
※人それぞれ合う合わないはあるでしょう。

話を戻します。
出口にあったHSPは病気の分類から少し離れたより健康的なものでありまるで存在を肯定されたかのような気分です。
それ以外は全は『病気』でしたから、そもそも「社会不適合者」と自らで十字架背負って生きてるような自己肯定感のかけらも無かったわたしに、これら病気のことを受け入れようものなら本当に世界から抹殺されてしまうんじゃないかというほどの恐れがあった。
大袈裟な表現だったかもしれませんが、なぜだか知らないところで抱えている大きな『恐れ』が病気だと自覚することをためらった大きな要因だったように、振り返った今では思うのでした。

周囲のサポートはね必須です。
周囲に理解者がいない環境はね、とてもハードです。

このようにして、社会で向き合う仕事に乏しくお金もなく貧乏になり、やることが無くなり辿り着いたところが『すべてのチャネルを使う。』だった。

偉そうに書きましたが、今でもすぐに崩れ落ちそうになるし、そうでもしないともう正直苦しくてやってらんない。

神さま助けて!w

痛みと共に生きる

輝け元気!ブログ » Blog Archive » 抑圧って何?防衛機制って何?

わたしも祖母が亡くなったショックを抑圧していたことになるのだろう。
高校2年生の頃、まるで母親のように感じていた祖母が亡くなったショックは当時あったのだが、あまりにも衝撃が大きかったのでしょう、悲しむ間もなく感情を心の奥底へと追いやりフタをしたのが分かる。
人として当たり前に悲しまなかった。
この先しっかり生きていかなければならないという気持ちで圧し殺していたような気がする。

無意識の防衛機制の抑圧と意識的な否認。
この二重のロックをかけたものが、わたしがうつ病を患ってから10年以上経ってからふとしたきっかけで、ロックが解けて涙してからが地獄のような苦しみを味わった。
わたしの場合は別の理由でうつ病を患い、心理的に衰弱したことがきっかけで、過去の傷つき体験群のフタが開き、そのときに一番奥底に追いやっていた祖母が亡くなった悲しみとも直面することになったのだろう。

直面した当時は罪悪感や怒り(恨み)そして後悔など、ありとあらゆる負の感情が極限まで膨れ上がっていた。
それだけに留まらず、とても些細な傷つき体験すら現実とリンクして過剰に反応する日々。
日常生活なんて送れたものではなかった。
これら感情群と向き合いつつ、それなりに日常生活を送りつつ、同時に悲しみと向き合うための手段としてのグリーフケアを学びながら、どうにか感情と向き合おうと必死だった。
ま、感情が爆発しすぎてお世辞にも向き合っていたとは言えない。
しかし、一人でよくやったとは思う。

フラッシュバックの大嵐だったぜw
内面から押し寄せる感情から何度も殺されるかと思ったほどだw
しかも、何度も繰り返すうつ病背負いつつ、対人恐怖の大ボスである女性に対する見捨てられ不安も極端なまでに感じ、かつ『自分でも分かるほど』劇的に精神的に退行していた。
こんな状態じゃ「死にたい」が大暴れするのが当たり前w

ほんと、内側からも外側からも同時にあらゆる苦しみが押し寄せていたあの状況を生き延びられたのは奇跡に近い。
もはや、何も信じられるものなど無いという感覚のもと、上に書いた『自分でも分かる』という自らを感情から切り離したところで俯瞰したところから観察する部分(観察自己)がなければ、とっくのとうに死んでいたでしょう。
幸い、わたしはアダルトチルドレンなため、そもそも感情に疎く、感情とは違う部分、つまり客観視する部分を使い生きるという人間らしくない生き方をしてきたがために、それが奏功したのだと思う。

ちなみにアダルトチルドレンのカテゴリでいうとわたしはどちらかと言うと“ロストワン(いない子)”であり“心の中で遊ぶ平和主義者”らしい。
ちなみに、他者を世話するケアテイカー、成功者を演じるヒーロー、反社会的なスケープゴートなどなどこれら全ての特性もかいつまんで合わせ持っているなと自覚している。
しかし、わたしは基本そこにいながらにしていない存在感の薄い人間なことは確かだ。
今ではそうでもなくなってきたが、この生き方が染み付いている。

うつ病になったそもそものベースにあるものが“アタッチメント(母子の愛着)”にあり、そこには母親と祖母との関係がからんでいて、祖母との関係がキーになっており、祖母が亡くなったことによる悲しみに直面したおかげで、一気にわたしの回復が進んだことは事実。
もって生まれた繊細な気質とそれなりの家庭環境が織り成して発病したうつという病。
派手な環境ではなくて、どこの家庭にもありそうなものであることが発端となっているということがポイントで、健康な精神状態を維持できている人も実は紙一重なのだなという風にわたしは思うようになった。

最近の人生は回復のために全部を注いだ。
しかし、裕福ではないため、自分でやれるところはやらざるを得なかった。
追い詰められながらの独学である。
しかし、今思えば自らが自らを知ろうとすべく学ばなければ回復はなかったことを実感している。

直近では昨年精神科デイケアうつ病回復プログラムも受け、ACAというアダルトチルドレン自助グループにも毎週通っている。
東北の片田舎のこの地では自助グループはあまり知られておらず、参加人数は少ない。
わたし一人で場所を開ける日もよくあるほどだ。
しかし、これは必死に独学をしていた頃と同じく誰のためでもなくわたしが回復し続けるために必要だからやっていることなので、一人になろうが構わない。
寂しいのは確かだけどw

最近では自助グループのサービス提供の仕方を学ぶべくAA(アルコホリックアノニマスアルコール依存症当事者の自助グループ)とNA(ナルコティックアノニマス、薬物依存性当事者)にも足を運び、分かち合いに参加している。
(世の中には他にも、GA、SA、EAなどの12のステップをやるアノニマスグループがあるらしく、いつか参加してみたいと思っている。ちなみにアルコール依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症それぞれに対応した家族のアノニマスグループもある。アノニマスグループの価値は「何者でもないわたし」がありのまま受け入れられるところにある。悩める人の物理的な居場所であると同時に心の居場所ともなる。)
参加していて分かったのだが、依存症者のベースにあるのはアダルトチルドレンという傾向ですから、彼らはACであるわたしとほとんど似通った気弱な方たち。
アダルトチルドレンとはいえ皆と同じ人間。
ですから、彼ら依存症者もわたしたちと何ら変わりない弱さを抱えて生きる人間だというこだということを実感しています。

依存症は病気ですが、現代は依存対象が多いことと皮肉にも社会をあげて知らず知らずのうちに依存症者を生産しまっている側面もあるとわたしは感じている。
(依存症抜きにしても、自助グループで使っている“12のステップ”は自立と成長の観点からわりと幅広く効果あるのではないかと思う。)
オープン参加できますので、ご興味のある方がいらっしゃいましたらいかがでしょうか?

こうやって振り返ってみると、数々の奇跡の連続の上で生かされているのだなと改めて感じる。
しかし、わたしは苦難を乗り越えてなどいない。
今でもあの数々の痛みと共に生きているのだ。
大切な人を傷つけ続けているということも含めて。

だが、痛みは忘れてしまう(抑圧)よりどうにかして受け入れてしまう方がいい。
やり方は様々あるでしょう。
自助グループで使う“12のステップ”もそのうちの一つ。あれは依存症回復のためのものではなく、もはや与えられた人生そのものを受け入れて生きるための知恵であると確信している。)

痛みがあるから他者に対する思いやりが深くなるし、感謝の気持ちもとても深いものとなり味わうことができるもの。
やがては、自分の傷や弱さを受け入れたことを通して、他者の弱さや存在そのものを愛し慈しむことへとつながるだろうとわたしは信じています。

わたしにとって人生でやるべき最大の仕事。
それは、何かの職に就いてお金を稼ぐことではなく、人間としての弱さを抱えるわたしを見捨てることなく愛することである。

そして、今では祖母の存在に守られていたのだなと感謝できるようにまでなった。

ハイヤーパワーの導きに感謝です。
ありがとうございました。

生活保護と自立支援プログラム

「貧困は社会のせいだ!」と信じて、生活保護申請随行のボランティアをしたら、クズばっかりだった話

いわゆる一般的な人と比べて、
『適切な計画を元に一人で生活を切り盛りしてゆけるはずだ』
といった先入観で眺めるでしょうから、落胆するのもおおいに納得できる。
そりゃあ、当事者を「そんなこともできないのか」と、責めたくもなるでしょう。

わたしなりの意見としては、ブログ主の実体験を参考にさせてもらうと足りていないのは「基本的なお金の使い方」を含む『生活スキル』なのでしょう。
支給金額を小出しにしたりするのも、強制的に計画性を持たせるという意味ではいいのかもしれない。
しかし、その環境から外れた場合のことを考えると、彼らの自立について考えた場合、教育や訓練などによりそういった生活スキルを身につける機会を作ってゆかなければならないのではないかという発想が浮かぶ。

生活保護の位置付けは自立支援の一貫だとされているのか定かではありませんが、そのような位置付けにして現金給付のみだけではなく、教育的なものとセットで提供した方が効果が高くなるのではないかと想像します。
そもそも基本的な生活スキルを学ぶ機会に乏しかったのかもしれないし、依存症などの病気の状態に陥ってしまい本来の価値観を逸してしまったまま知らずに生きているのかもしれない。
ちなみにブログに出てくる薬物依存者はれっきとした病気ですので、治療が必要なのです。

お金だけで後は本人任せで解決しようとするのではなく、当事者の背景に思いを馳せた上で、彼らの自立に向けて足りないものをサポートする体制が整っていれば、いつ生活困窮に陥るとも分からない不安定な社会情勢においては、わたし含む一般市民の方々も安心して生活を送ることができるのではないでしょうか。

『支援の在り方』
を、もう一度棚卸しをして再考すべきときなのだとわたしは感じています。

人生を何度でも再スタートし直せるような世の中にしてゆかねばならぬと、現在も人格的な部分も含め生活再建に取り組み続けているわたしの切なる願いです。

薬物依存と自助グループ

“覚せい剤やめますか?人間やめますか?”の害:日経ビジネスオンライン

最近わたしはNA(ナルコティック・アノニマス)という薬物依存症の自助グループのミーティングに通いだした。
ちなみに、わたしは薬物依存症の本人ではありません。
しかし、わたしはそれら依存症のベースとなると言われているAC(アダルトチルドレン) の本人だということを自覚しているため、ACA(アダルトチルドレンアノニマス)という自助グループに通っている。

NAとACAは両方ともAA(アルコティック・アノニマス)というアルコール依存症者の自助グループから派生したグループで、個々の体験談はそれぞれのアディクション(依存対象)に依りますが、ほぼ同じ仕組みやルールで運営されているんだな、ということを参加して体感してきた。
ちなみに、地域にあるAAにも足を運んでいます。

AAもNAも通い続けることで、依存から脱し続けることができることが過去から続く仲間たちの体験的に分かっています。
背景にあるのが<孤独>だったりしますから、わたしには納得できます。

人間として本来あるべき“依存”の対象を、他者に対して健康的に依存する、というやり方で取り戻せるのだと、わたしは実感しています。

NAに通う中で感じたことはというと、
『世間では犯罪者のレッテルを貼られ無理解に晒されている彼らだと思うが、実際には人生をやり直すべく真摯に治療に取り組んでいるんだな』
という実感がありました。
わたし、静かに感動しているところです。

そのような彼らが、わたしのようなどこの馬の骨とも分からぬ相手に対し回復を願う“仲間”として快く受け入れてくださるものだから、人に頼れず孤独の中で生きてきたわたしは嬉しくてたまらない、という体験をさせていただいています。

このような彼らの態度から受ける印象はというと、
『思いやりある人たち』
です。

おそらく、社会に蔓延している先入観とは真逆なのではなかろうか。
この先入観を打破するような体験をしているということは、とても貴重なことなのではないか。
ということをここ最近のわたしは感じています。

本やネットなどで間接的に触れていたとはいえ、これほどまで感動するとは思いもよりませんでした。

おこがましいながらも、依存症という病気の患者である彼らの回復、そして社会の理解が少しでも進むことを祈らずにはいられません。

学びも深く、このような巡り合わせに感謝です。

悲しみに暮れる君へ

わたしは祖母の死が原因の悲しみが癒えず長年鬱積していた感情と数年前直面し苦しみました。

しかし、その悲しみと向き合い受け入れるとこができた今では、あの出来事の意味を自分なりに理解し、今に生かすことができている自分がいて驚きです。
当時はこのようなことは想像もしていませんでした。
わたしの力というよりは、人間にはそもそもこのような力が誰にでも備わっているのだなと確信するに至っています。

ちなみに、喪失体験の悲しみと向き合うのに非常に有効だったツールは『グリーフ(悲嘆)ケア』です。
本がありますから、一度目を通してみてはいかがでしょうか。
ネットで調べても出てくるかと思います。
実際にやれれば必ず回復するはずです。

医師の診断では病名がつきがちでしょうけど、喪失体験による悲嘆は人間として当たり前の反応です。
脳が生前と比較して関係性を整理するときの感情が“悲しみ”に他なりません。
これは適切に向き合うことで、人それぞれのペースで緩和されゆくものなのです。

ご自愛ください。

今、うつ病で苦しんでいる方へ

こんばんは。

わたしはうつ病歴18年を過ぎ、何度も再発を繰り返しては職を転々としましたが、ようやく昨年あたりから落ち着きを取り戻しています。

恐縮ですが、ここらか長くなります。

わたしの場合はと、前置きして、通院と投薬だけでは一旦は症状は落ち着くものの、再発を繰り返すばかりで途方にくれていました。
そんな折り、無料で相談してくれる機関(若者サポートステーション)を利用し、そこでは臨床心理士さんや他の相談員さんとカウンセリングをしていました。

ある日、相談していると過去の記憶(身内の死)から涙が流れたことがきっかけで、そこから一旦劇的に体調が悪化しました。
仕事もパートですが続けながらでしたが、不安定でしたから対人関係でトラブルを起こしがちでしたし、その苦しさから図書館へ逃げ込んでは心理学などを読み漁りながら現実逃避を繰り返す日々が続きました。

しかし、現実逃避のつもりで逃げていましたが、今の自分の状態を助けるかのようにして本が次々と現れていた気がします。そのときは生きるのに必死でしたから、気づきませんでしたが。
そのとき通院ではいっこうに回復へと向かわなかったということがあり、もう独学でなんとかしてやる!という気持ちで読んでいましたが、後になり一人でがんばるだけではどうしようもなかったのだな、ということに気づくに至りました。

そうこうしてるうちに、そのときの仕事を辞めることになり、介護の資格を取り、障害者の施設に就職するも半年ほどでうつ病が再発し、休職することになりました。
精神障害の利用者の方が多い職場でしたので、休職する前ですが上司から近所の精神科で今度始まる「復職支援のためのうつ病リワーク」というデイケアを教えていただき、よもやわたしが通うとは思ってもみませんでしたが、結果的に休職することになり、5ヵ月通いみっちりとうつ病の治療をすることになりました。
そこでは「飲む医療から学ぶ医療へ」というコンセプトのもとで、
うつ病理解のための心理教育
SSTソーシャルスキルトレーニング)
・集団認知行動療法
・マインドフルネス
を中心に
・ヨガ
・軽スポーツ
・集団/個人オフィスワーク
・グループでの軽作業
などのメニューで行いました。
認知行動療法やマインドフルネスは本やネットで薬と同じぐらい病気に効果があるということを知っていましたから、いつか実際に受けたいとずっと願っていたところ念願叶ったことになります。

また同じ時期に、ACAというアダルトチルドレン自助グループに通いだし、自身の体験を話したり他者の体験談に耳を傾けることにより、孤独を感じやすく生きづらかった自分なりの原因が見えてくるにつれて、不思議と肩の荷が降りるかのようにして心も体も軽くなるという体験をしています。
今でも毎週通っていて、直接的なうつ病の治療ではありませんけども、結果的に症状を緩和することにつながっている実感があります。

通院も数ヵ月に一度していますが、薬は飲まずに過ごしています。
しかし、再発のリスクとは一生同居して生きることになりますから、いつでも処方してもらう準備はできています。
しかし、医師の方針で薬は最低限の処方ですし、回復具合から飲む飲まないはわたしの判断に委ねてくださっています。

長くなりましたが、うつ病は回復することは可能です。
実際にわたしは回復状態を維持しています。

認知行動療法やマインドフルネスは本でも沢山出ていますし、レクチャーを受けたとしても理解していることが前提になりますから、読んでおくにこしたことはないかと思います。
ネットでも情報は出ていますが、本を手に取るのがオススメです。
日常に取り入れるまでいければベターかもしれませんが、お近くの機関でやられているところで実際にレクチャーを受けられたら受けてみるといいと思います。
わたしの場合は東北の田舎ですからそのような機関に通うことは半ば諦めて、見よう見まねで自分でやってはいました。
遠くの地方にある精神分析医のいる精神科に通ったこともありましたが、先方の都合であえなく通院を断念したこともありました。

しかし、死にたい気持ちや消えたい気持ちとも長い期間同居しましまが、あきらめずに生き続けていたらいつしか回復を維持している今があります。
ですので、無理せず自分なりの回復の道を諦めずに探し続けて欲しいです。

つらくなったらわたしのように逃げてください。
今では仕事をすることよりも、命の方を大切にしなければならなかったのだな、逃げたことにより今の回復があるのだな、と思えるようになりました。
うつ病になるぐらいですから、そもそも他者よりも必死にがんばって生きていたのです。
逃げたくなって当然のことだと思えます。

どのような本がいいかなどご質問などございましたら、いつでもお問い合わせください。
当事者として答えられることはいくらでも答えます。

長くなってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。

みなさまの回復をお祈りしております。

人生は何度でもリブートできる

「中年ニート」120万人、統計に表れない無業者 :日本経済新聞

ずばりわたしの世代。
そしてわたしもうつ病を煩い、自分なりに何度も社会復帰にチャレンジしてきた経験がありますが、困難を極めている。
今もまだ途中でありますが、あきらめつつも続けていたところ徐々に見通しが立ちつつあります。

周囲の人たちの支えに感謝です。

わたしの周囲にもちらほらとわたしと似たような境遇の方たちがいます。
驚くことに、一人は半ば自力でなんと統合失調症から回復し、今では就職して働いています。
先日、その彼と久々に会い話ししたところ、わたしと似た苦悩の深さを持っていて、とても深い会話ができて満足です。

しかしね、ひょっとしたら彼やわたしのような体験をしている人が記事にある「ニート」の中に含まれているとしたら、自己責任だとするのは些かハードなものがある。

わたしたちのように病気と向き合うことを通して、根気よく徹底して取り組むことができる人は限られているのではないか。
何も能力が高いということをアピールしているのではなく、むしろ社会に不適応をおこしていたのですから、むしろ逆。

それと、最近知り合った人にわたしと似たような体験をなさっていて、ニートな方がいらっしゃるんですけど、その彼がものすごい勢いで社会復帰に向けて動き出していることを現に目の当たりにしているところです。
若い方と比べると年代的に先が短かったり職歴に乏しかったりしますし、置き去りにされてしまいがちですけども、前に話した統合失調症の友人然り体験の質は深いですから、うまくその体験を咀嚼し受け入れられるまでに、心理的な面で成長を促すことができれば、社会にとって有用な人物へと変化するとわたしは確信します。

何せ、人生あげて失敗し続けているという体験を続けてますからね。
金には結びついていませんが、学びは深いですよ。

このような未来を二度と繰り返さぬためにも、彼ら(過去のわたし)のような人と出会うことがあったら、支えになることを続けてゆこうと思います。

わたしの体験がね、どうやら彼らの役に立っていて、彼らの再起動の原動力になるらしいの。

しかし、この体験も与えられたものだと考えると、感謝の気持ちになります。

ありがとうございました。