うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

<怒り>というものについてのぼやき

感情が悪いわけじゃないのよ。

怒りは人を傷つけるという意味では、扱いには注意が必要。
相手の怒りも買うし、ともすると関係が破綻する場合もある。
(まあしかし、そのときはそのとき。)
あとは、放っておくと自己を蝕む。
このような意味においては扱いには注意が必要だということ。

しかし、大切なのはね、『なぜ怒りがわいたか?』という自分なりの理由を明らかにすること。
単に「怒りは悪だ」と善悪でとらえると、「怒りは悪の感情だからあったらダメなんだ。」という風に、否認もしくは矮小化してしまい兼ねない。
そうなると、最初に書いた『なぜ?』という自分なりの理由を明らかにすべく内面を深堀りしたところの反省にならない。
(要するに人間としての変化が無い、経験からの学びが無い、ということになる。耳が痛い話しだが必ず同じことを繰り返す。)

理由を明らかに(言語化)し、可能ならばその言語化した言葉を冷静に伝える(というか自分のこととして表現する)ことが大切です。
↑わたしはこれが出来ず(ついつい自分を後回しにするため)に感情が暴発しやすい

しかし、一つわたしが心がけていることとして、「相手の怒りを買わない」ように「相手のペースを大切にする」という態度がある。
(なぜならば、相手から嫌われたくないから。裏を返すと、主張下手(受け身)、という風になる。怒りが暴発しがちな今のわたしそのもの。)
相手を縛りつけすぎない(拒否されづらい)言葉のチョイスも重要だ。

で、
・暴発しやすいわたし(相手のペースに合わせすぎる)
・自分のペースで強引にものごとを進めようとする(相手のペースを重んじない)傾向にある相手

これがバッティングすると、わたしの怒りが暴発しやすい。
(わたしが暴発しているときの考えを言語化するなば「失礼なあいつを今度はこっちが支配してやる」という風に、一般的にも怒りは相手を支配しようとする感情の表現でもあるのだそうだ。)
怒りというものは性質上、「抑えずに表現した人が悪い」ととらえられがちで、実際にそのような指摘を受けやすい。
(相手はこちらの感情を否認するために指摘するのだろう。)

しかし、今回書いたように双方に何かしら原因が含まれていることがほとんどです。

自分の中に理由を明らかにし、それを許すことによって関係は維持可能、だということも経験している。
しかし、相手がいることなので相手によるとしか言いようがない。