うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

中学生のソフト化と自立(母子分離)

なぜ"不良の中学生"はモテなくなったのか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

親子関係が濃密すぎてもおそらく今度は自立(母子分離)の過程がややこしくなってくると考えられます。
想像にすぎないですが、これが家庭内暴力の増加につながってんのかもね、という仮説。

親的な存在としてはいっそビシバシ厳しい態度をした方がいいのかもねー、というのはうっかり詭弁であったw

要するに、母親機能を担う大人は安全基地機能を担保しつつ、父親機能を担う大人は遊びや社会との接点、そして厳しさを教えるということを幅広く調和させるようにしてやればいい。
(多少ハードかもしれないが、一人の人間がこれらの機能を満遍なく担うことも積み重ねによって可能になるのだと思う。)

ということで、やっぱもうちょいハード寄りの機能(厳しさ)を増やしたらいいんじゃないかしら。

↑他者を甘やかしすぎる傾向を持っていたわたしにとって『厳しさを増やす』ということは一人の人間としての課題でもあります。
が、なんか最近の巡り合わせによって、わたしの中のシャドウ(劣等感、過去の心のキズ)がいい働きをしてくれていて、態度に厳しさを内包するようになってきた。
しかし、思いやりを持ちそれを行動に移して具体的にフォローすることも忘れてはいけない。
なぜならば「わたしが相手を傷つけて(蔑ろにして)しまった」ことから生まれる罪悪感を減らすため。
相手がどうかというよりは、主体的にフォローするという行動によって、わたし自身の気持ちを安定させる(赦す)ためとも言い換えられる。

あらかじめ相手に対する不満を自らの内で事前に赦しておけば、厳しい態度を取らずにいられるようになるかもしれない。
理想を言うとそこまで発展させた方がいいんだろし、面倒だけど次のステップとして試しにやるか。
正直煩わしいんだけどさw

そこまで進めたら、恐らく厳しくした後の相手への罪悪感も減る。
そして、これまでの反応に任せた形での厳しい態度や行動は減り、しかしあえて他者にはっぱをかけて気づきのきっかけにするときに落ち着いた中から選択して行動に出せるようになるでしょう。

間に一つ赦しを入れる習慣から取り入れてみようと思う。
ま、完全にれないのは目に見えてますが、やるだけやることで対人関係の質の精度を高めて行かねばの。

己が変われば相手も変わるもの。

こういうことが日常を通して実行する、わたしにとっての修行であり生きることであります。