うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

統合失調症とわたしの類似性

さっきyoutubeで主に統合失調症の当事者同士の当事者研究統合失調症の当事者の体験談の動画を見ていて思ったこと。

『それ、全部オレにもあてはまるw』

オレも一度、うつ病の症状が悪化したときに感情の起伏が恐ろしく激しくなった時期があって、そのとき統合失調症の薬が処方された。
確かリスパダール
しかし、飲んで効きが強くあまりにもぼんやりしすぎたので飲むのを中止し、医師に相談して元の薬に戻してもらったことがある。


あれは、当時読んでいた本から得た知識などから判断すると「回復へと向かう段階での悲嘆の解放による一時的な感情の乱れ」だということを自覚していましたし、他者の前では乱れないようコントロールすることはわりと得意でしたし、なんとか凌いだ。

彼ら当事者の体験から多かれ少なかれわたしも似たようなものを抱えていて、わたしの場合は周囲に仲間が一人もいなかったからどうしようもなく自ら書物やネット読みながら理解を深めた時期があったんだよなー。
あの頃、仲間がいたらどんなに楽だっただろうかと当時から渇望していた。

最近は自分なりに収集した知識や病院での治療体験(学ぶ医療による実践的な治療)、自助グループでの仲間の話しからの学びを生かして、やっとどうにか人間ぽく生きられるようなところまできたことを実感している。
しかし、ややもして健康な人のフリをしちゃうとすぐにうつ病再発手前の症状(注意サインと病院では習った)が出ますからやはり「わたしは病気である」との認識を忘れないようにし注意深く生きなければならないと、悪化する度に反省する。

依存症系の自助グループ(ACA:アダルトチルドレンアノニマス)ではミーティングでの分かち合いや12ステップの実践を通して日常に生かす取り組みをしている。
自分が何者か分からず、生き方も分からず、ただその場その場で混乱していましたから、一貫した生きるための支えに乏しかった中で、とても大きな支えになるものと出会い、今も実践しようと努力を続けているところ。
混乱や感情の暴発などは続いたが、そのうちうつ病の症状が安定するようになってきた。
今では気分が暗く沈んだままでやる気に乏しくなったり、生きることに意味を感じられなかったりすることは減った。
質的に深みまではまらなくなったという表現がより正確かもしれない。

わたしの師匠の話しで「統合失調症も自我の病だと言えるからねー」って言ってた。
それと、ミーティングの分かち合いや12ステップを踏むことで、これまでの不健康な生活パターンで肥大化した自我が収まるべきところに収まるってことが起こるんでしょう、だからこそ依存症やその家族の似たような病は回復へと向かう。

で、最初にオレが統合失調症の当事者の話しから受けた印象「その問題って全部オレも根底で持ってるw」ってのもなんだかつながった。

自我が収縮してゆくことにより、感情や健康的な反応(すげー!っていうような驚嘆、健康的な理想の復活、生きててもいいんだ感、幸せ感)そして他者とのつながりの感覚等が蘇る。
しかも、今まで息を潜めながらも内面から芽を出す機会をうかがってでもいたかのように急激に蘇る。

みっちりやれば回復早いっすよ。
例えば、知的に理解し客観視して感情を和らげる認知行動療法などを超える感じもある。
より広い視野、自らのどうしようもなかった人生の体験を振り返ることで整理されますから、より広い視野を扱う認知行動療法的な試みとも言えるのではないかと、両方とも実践したことのあるわたしは感じています。
どちらもうつ病には有効。

うつ病にしてもどうやら“自我の病”だと言えそうですから、自助グループでのミーティングや12ステップは回復に効果あるんでしょう。
元々は依存症のミーティングなんだけどわたしは依存症にプラスしてうつ病があったというだけで、依存症の方の問題が回復すると同時にうつ病も回復していったんでしょうね。

しかし、依存症は治らない。
なるほど、過去の不健康なパターンで培った肥大化した自我(<俺様>)が生む思考は今でもよく大暴れする。
しかし、それに飲み込まれすぎずにいられる心の平安(どっちかというと平穏の方が好きw)と落ち着きが与えられたからでしょう。

依存症は治らないと書きましたが、しかし、一生回復し続けることができる。
スリップ(対象に再依存)もすることがあるけれど、また振り出しに戻ってやり直せばいい。
この体験も含めて、自らの成長と回復の糧になるという永遠とも言える取り組みをし続けられる場。

自我(自らの意思)に頼らず、おおいなる縁(ミーティングではハイヤーパワーと呼ばれるもの)のようなものの意思に委ねることが可能になるのもまた、この自我が収縮してゆくからかのでしょう。

過去からある仏教も自我が生む煩悩の数々との向き合い方や対処の仕方、要するに人として生きるための具体的な道具が詰まった叡智だとすると、なんだか親近感が湧くのもうなずける。

ま、数々の精神疾患のみならず健康な人がより人間らしく健康で居続けられることにも貢献できるような気がする。

依存症で苦しんだ過去の人間たちが苦しみの中から人生を自らのものとして取り戻そうと試行錯誤してきた経験の集大成ですからね。
欲≒依存症だと考えると、煩悩を扱う仏教との親和性も高いでしょうし、宗教的な雰囲気もありますがしかし超実践的。

やっぱ、人として生きる上で何にでも役立つぐらいのインパクトあるなー。

あと、最近見過ごされがちかもしれませんが再発見されつつある<スピリチュアルヘルス>というものにも対応していて、メンタルヘルスを担うにしてもさらにそのベースを整える役割も果たせますから、精度が高い。

ほんと、苦しみの中から生まれただけあってとても先進んでる。

このことに気づいている人はいったいどれぐらいいるのだろうか。
世界(WHO等)ではスピリチュアルヘルスについて徐々に気づきつつあるようですね。

メンタルヘルスの先行ってるもの。
行動が変わることにつられてメンタルや体も整うという、なんとも上の方からの助けが入るような感じだねー。
逆を言うと、既存のアプローチがほとんど役に立たなかったからこそ見いだされることになったのでしょう。
とはいえ、体、心、スピリットという3方向からのアプローチはどれも同じように大切なことでしょう。

しかし、やることは現実的に実践することから始まるという素晴らしさ。