うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

幸せと生きる意味と苦しみの関係

幸せってなんだろう|寺田@winks|note

『生きている意味』を感じながら存在できることは幸せ感を感じるための土台になると思う。
これまでの生き方では人生が底をつき生きる意味を喪失した=その時期に何度も「死にたい」「消えたい」願望に来る日も来る日も襲われ続けた。
これはわたし自身が生き方を間違えてたから底ついたってことなんですね。
だからこそその人なりの『生きてる意味感』の質の高まりは、わたし的には幸せというよりは生きる喜びに近いものを感じるかな。

意味は後から体験したことをありのまま振り返ることで深まる。
(リアルタイムで体験することと振り返ることをオーバーラップさせられんのか?w)
生きる意味を渇望せずにそれなりに生きられているのであればさほど気にすることはないでしょう。
しかし、振り返り内省することの積み重ねで深まることは確かですし、苦しみややっかいごとの中からにもその体験が積み重なればなるほどにはっきりと見いだすことが出来ます。
そして、意味は日々の体験によって蓄積したものでアップデートすることができますから、成長しますし方向性が変化することもあります。
ま、逆説的だけど苦しみが深ければ深いほど、質的にも深い意味となり残ってゆくでしょうw
苦しいのは嫌だけど←これ重要w
(しかしながら、そもそもこの世は“一切苦”でありますが同時に“五蘊皆空”である。即ち、この世の全ては苦でありながらそれは実体の無い空である。)

そこで見出だした意味を満たせる場へコミットすれば、喜びが何倍にもなる。
意味は、体験と振り返りによって蓄積されますから、年を重ねると進みたい方向が変わるということもよく起きてくるんじゃないかなと想像します。
若いうちに体験を深めることができれば、一本の太い軸として支えになりますから、人生のより早い時期に安定するでしょう。

加えて、どういったことに価値を感じるかを各々が見いだしておくこともコミットする場を選択する上で大切になってくるかと思います。
ま、それ以前に生きる上で大切になるわなw

このようなことを踏まえれば、より洗練された幸せ感(主観的幸福感)を得ることができるはず、、、ということをわたし自身、これをもとにしてこれから現実の世界でもう一歩踏み込んで試してみるところですw