うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

お盆に霊的な健康(霊的に良好な状態)についてかんがえてみた

日本はお盆を失って、ハロウィンを手に入れた?


アイデンティティの崩壊に見舞われると、この世の全てに対する信頼関係も崩壊する。
自分が誰なのか分からず、今なにを感じているのかも分からない。
生きる意欲も低下し、生きる意味すらあるように思えず、同じように繰り返される日々を無生物のように淡々と過さなければならなかった。
あるのは、つらい、苦しいという感覚。
しかし、それすら薄ぼんやりとしたものしか感じられず、生きながらに死んでいるのと同じだった。

次第に感覚が戻ってくると、今度はまるで激しい嵐でも吹き荒れているかのような内面の大混乱を体験することとなった。
過去の些細な傷つき体験にすら激しく反応し、激情のような感情の起伏と共に生きるのは困難を極めた。

しかし、一筋の光のようなものを感じていた。
これが何なのかは今でもよく分かってはいない。
だが、思考の上で理解すべき類いのものではないということは「分かる気がする」。

今でもあの頃に感じた『光』の存在と同居し続けているということを、少し意識を内面に移すと感じることができる。
なぜだかこの光は温かい。
体の芯、胸の辺りにあるとてもとても小さな自分の中心、このような場所からとめどなく湧いてきて、光輝いているかのような感覚だ。

余談だが、ごく微細な粒子よりも小さいような“小さな小さな自分の中心”は、俗世間での欲望に触れると一瞬にしてその輝きが失われてしまうほどの繊細さを持っている。

この光に意識をもって行くと、少しの安心感を味わえる。
しかし、わたしのコレはまだ弱いのであろう、すぐに消え去るほどなのだが。

こんなことがいったい<お盆>と何が関係あるのか?
わたしのこの内面に感じる“光”のような存在がわたしに、
『わたしたちは先祖たちとつながり続けている』
ということを実感をもって気づかせてくれる。
この実感をことばで伝えるのは難しいのだが。

表現を変えれば、
『わたしたちは先祖から流れる命のつながりの一部であると同時に、これまで生きた先祖の全てでもある』
ということでもある。

誤解を恐れずに言うならば、崩壊したアイデンティティの奥にあった光が先祖のみならず“神”と表現して差し支えのないわたしたちを超えた存在だったのであろう。
どうあれ、わたしたちは先祖からつながる命の流れの一部であることは確かだ。

このようなことに対しての「自分なりの気づき」を得ると、生きている実感が高まる。
具体的には、安心感が増したり、アイデンティティの関係が強まったりだ。
恐らく、急激に広がりを見せている<マインドフルネス>を通して、感覚的にこのようなことを体験するきっかけとなるのだろう。
ストレス低減やうつ病からの回復として、現実的には効果を発揮することとなっているのではないか。

日本のお盆、古代ケルト人をルーツとするハロウィンなど先祖(死者)とのつながりを求めずにはいられないのがわたしたち人間なのだ。

『今生きる命の光をより強く輝かせる』
死者へ敬意を払う意味はここにある。

※このように“霊性”が甦ってくるとアイデンティティも安定してゆくこととなりやがて落ち着きを取り戻します。これがいわゆる健康であることの一つの指標である『霊的な健康』だと言えましょう。