うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

某元IT企業CTOの不倫の話題と境界性パーソナリティ障害

最後に 境界性人格障害の人に依存されたらどうしたら良いか - 株式会社一休CTO 元はてなCTO 伊藤直也(naoya_ito)の不倫ブログ


https://anond.hatelabo.jp/20170724080818:title

さっき流れてきた、某IT企業の元CTOの不倫の話題について思うところがあった。
いやー、ひどい男につかまったもんだね。

さすが、苦しみつつも社会に適応しながら生きている当事者。
よく学んでいると思う。
そうやって観察自己を養わなければ生きてゆけないよね。
オレも体験しているからよく分かる。

学びだして数年してから効果が出るようになったけど、知ることはとても大切。

しかし、やはりというべきか、自己中全開で怒りから他人を変えようとすることに躍起になっているところが、いやはや自分を見ているようでいて複雑な気持ちになる。
ほんと、笑っちゃうぐらいによーく「わかるわかる」だよw
その反面「そこまで分かってんなら治療に取り組めよ」というアンビバレントな気持ちだ。

騙した男が悪いことに違いはないが、しかし、境界性パーソナリティ障害を長い目で見たら、苦しいだろうが治療に取り組む道もあると伝えたい。

ブログに書いてある性格傾向が生まれる深い動機に自らが気づき、自らで受け入れ続ければいい。

ま、これだと具体性に欠けていて冷たいねw
・どこでどのような治療を受ければいいか?
・どのような自助努力を続けたらいいか?
ということを伝えるべきだよな。

それと、アダルトチルドレン自助グループについて言及していて、宗教っぽいところがあるという気づきはいいところをついている。

わたしもACA(アダルトチルドレンアノニマス)という自助グループに通っている身ですから解説させていただくと、自助グループでは12ステッププログラムというものを使う。
これは、アルコール依存症当事者が始めたAA(アルコホリックアノニマス)で使われているものをそっくり流用している。
ちなみに、NAなどの薬物依存症当事者のミーティングでも使われていたりと、12ステップグループはいくつか種類がある。

アルコール依存まわりを追っているとアルコールに依存するのは「“霊的な渇望”を満たすため」であるという文言が書いてあったりする。
ビッグブックというビル・Wさんという自助グループをアメリカで最初に始めた当事者が書いた本の翻訳に書いてあるんだったかな。
ユングさんの書簡なども出てきたりする)
そして、12ステッププログラムは別名
『霊的な成長プログラム』
とも言われ、実際に“神”という表現が多数使われている。
この神のことをハイヤーパワーと言い、しかし、一般的な宗教に出てくる神様とは弱冠違っていて、
・人それぞれが信じるもの
であり、それが何であるかは一切問われない。

参考までにWHOでは健康を身体的・精神的・霊的に良好な状態と定義されています。

実際、12ステップミーティングでなされることは、内面的には「信仰心を再び養う」といったことがなされます。
そもそも、信仰はreligionと訳され、“再び繋がり直す”といったニュアンスがあるんだとか。
機能的にはズバリ宗教と同じであると言える面もあるのではないかと感じている。
しかし、自助グループは宗教などではなく、当事者の回復がたった一つの目的である。

依存症の当事者は、なんとしてもアルコール、薬、ギャンブル、女(女性であれば男)など依存対象から快楽を得るためには、人を傷つけたりときには犯罪を犯してでもやろうとする。
このときに、他者のみならず自らをも深く傷つけている事実がある。
もともと孤独感が大きい(アダルトチルドレン、もしくはボーダーラインパーソナリティ障害)自分も他人も何も信じられず、挙げ句の果てに他人を騙してまでやり続けることで孤独の淵に追いやられる。
こうなると、肉体から精神から、さらに霊的な部分までズタボロになるのである。

理論的なことよりは「当事者が実際にやってみて、なぜだかアルコールが止まった」という現実での取り組みベースで広まったものですが、実はフタを開けてみたら、
「神と形容されるような自らを超えた存在と繋がり直していた」
という結果が得られたという風にわたしは解釈しています。

しかし、宗教ではありませんから直接的に何かの神を称えるということはせず、依存症からの回復の過程で自然となされるといった扱い。
逆に「外部の団体や出来事には意見を持たず、支持も反対もしない」ことになっておりますから、どのような宗教であれ宗派の人であれ参加可能です。
それと、仲間の体験では、ある程度回復すると自らのオリジナルの宗教に戻ってゆくのだとか。

大事なことなので繰り返しますが、自助グループでは参加している当事者本にんの回復が優先されます。
そのために12ステップを踏むのであり、神との関係云々は本人に委ねられますから押し付けられることはありません。
ハイヤーパワーとの関係が大切だと言われますけども、しかし信じるも疑うも自由です。

“神”とかあえて表現するから後退りしちゃいがちだけど、日本なんてそこら中に神があふれていて、ぶっちやけ神の国じゃんw
家庭には仏壇もあるし、街には自社仏閣があふれてる。
“信仰”というものと日常が密接で、当たり前になりすぎているからこそ、忘れているだけ。

新興宗教などに見られがちですが、多額のお布施狙いで信者を増やす、といったところに世の宗教批判の本質があるわけで、純粋なる信仰心が儲けのために汚されたと感じるとわたしたちは怒りを感じるように出来ているわけです。

宗教を批判するつもりはありませんが、そもそもわたしたちと神との関係は個人によって段階が違いますから、人それぞれのやり方での繋がり方があるわけです。
どのように神との関係を見いだすかは、内面の話しですから一人一人が学ぶことでしか気づくことができない。
既存の宗教は、このように個人に委ねられるべき“神との関係”を外部の教義などで「こうあるべき」だとか「こうしなさい」だとかいう仕方で強制しがちであり、形骸化してしまっているのではないかと感じている。

この声が届くかどうかは分かりませんけども、健康の条件の一つとしてWHOで定義されている、
『霊的に良好な状態』
にアプローチする、パーソナリティの病気回復プログラムでは唯一の取り組みが12ステップの自助グループだと言えるのではないでしょうか。