うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

わたしは運がいい

運のいい人 | Taejun | note

わたしもやっと運がいいと思えるようになってきた。
主観的に“死”を意識する時期が何年か続いたほどだったにも関わらず、今こうして命がある。

ただ、生きている。
これだけでわたしは運がいい。

しかし、ここにたどり着くまでには徹底的なまでに、
『運の悪い人』
の側の人生を歩んできたことに間違いはない。
人生より与えられた様々な悲しい体験にうちひしがれ、もはや現実を生きる意味を見失い、逃避に逃避を重ねる人生を送り続けてきたからである。

経済的には一般的だったが一方的で情緒的に満たされない養育、身内の事故死や自死、再発を繰り返すばかりのうつ病、対人関係における困難さ、依存の問題、自己破産。
仕事も長続きせず、どう生きたらいいのか分からないだけでなく、自分がいったい何者なのかすら分からないという始末。
いっそこのまま死を選ぼうとするも、選びきれないほどの気の弱さ。

「なぜわたしだけがこのような不幸に見舞われなければならないのか?」
怒りと悲しみが自己嫌悪に変わり、自分でも理由のよく分からない大きな罪悪感で身体が崩れ落ちそうだった。
自分など生まれてこなければよかった人間なのだという果てしない孤独感も味わった。

生きているのか死んでいるのかはっきりしない中で、もはやどう足掻いたところでどうしようもなくなり、イチかバチか見よう見まねで過去のトラウマ体験群と向き合う道へと追い込まれてから、徐々に転機が訪れるようになった。

そこで一つの気づきがわたしに与えられたのである。

様々な努力もしたけれど、形になっているものなど何一つない。
しかし、たった一つだけ持っていることに気づいたのだ。
それは、人生より与えられた苦難を自分なりに理解しある程度受け入れる努力を続けてきたことで、知らず知らずのうちに内面的な深さが養われていた、ということに。

今でも定職に就いてなければ周囲と比べて収入も少ない。
しかし、そのような外見的なものに感じる価値よりも、他者とのつながりの中で大切にしてくださる縁ある人との関係性を育てたり、未来への希望を感じる道を信じて歩もうとし続けることにとても大きな価値を感じるようになった。

何より、トラウマ体験群と向き合う中で気づいた、自身の人間的な成長に対して感じる喜びが何より価値あるものだということに気づいたのである。

だからわたしは運がいい。