うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

家族というものが抱える負の側面(生活保護の扶養義務強化について)

生活保護の「扶養義務の強化」は「貧困の連鎖」を生む(大西連) - 個人 - Yahoo!ニュース

いつからなのか、家族で支え合うということが美徳とされている現実。
たしかに、幸せな人生には家族との関係性が良好であるということが大切だと言えるでしょう。

しかし、フタを開けてみると貧困や不幸などという負の一端を担っているのもまた家族だと言える現実が広がっているのもまた事実です。
福祉の現場からは「貧困の再生産」という問題が家族によって受け継がれるということも事実として分かってきている。
誤解を恐れずに言うならば、DVや虐待(肉体的な暴力のない精神的な虐待も含む)は精神疾患患者を生むこともあるし、アタッチメント(愛着)の問題からパーソナリティディスオーダー(パーソナリティ障害)の起源とされているのもまた家族との関係性の質である。

善かれ悪しかれ人間は環境にあったものをダイレクトに引き継ぐ。
過去には、DNAによる遺伝だとされてうやむやにされがちな風潮もありましたが、しかし環境によってDNAがエピジェネティックに変化するということも最近の研究で分かっていることでして、もはやそのようにしてうやむやにはできないのです。

依存性などを追っていると、アダルトチルドレンという生きづらさを抱えがちな主体性に乏しい性格が家族との関係性によって作られるということが分かっています。

様々なことを書きましたが、要するにわたしも生活保護支給にからむ家族の扶養義務強化には反対の立場です。
そりゃあ家族の扶養にたよれるのならばそれにこしたことはない。
しかし、そもそも生活保護を受給せざるを得ない状況に追い込まれた当事者が、問題の根幹をなすと想像される家族との関係を強制的に強化されてしまっては、蟻地獄にでも落ちるかのようにしてそれこそ『呪い』から抜け出せるものも抜け出せなくなることは想像に難くない。

それをやるなら、扶養義務の強化とワンセットで家族への介入も取り入れ、家族ごと福祉で面倒を見る方向にするのが好ましい。
これができないようなら、受給当事者が家族と生計を切り離したところでの自立を支援する試みをやるのなら賛成です。

アルコール依存や薬物依存の当事者や家族、アダルトチルドレンの当事者の自助グループでは12ステップのプログラムの実践をします。
そして、これを通じて回復の道を歩むことができることが経験的に分かってきている。
当事者のみならず家族までもが問題に気づき内省が促されることによって、やがては家族間の関係性が整い当事者の依存性や生きづらさの問題が回復してゆきます。
(当事者の家族が集まる自助グループもあり当事者と同じ“12ステップのプログラム”が使われる。12ステップのプログラムは回復と成長のプログラムと言われています。)

それと、驚くことに家族との関係性が劇的に改善されることもある。
わたしは、ACAというアダルトチルドレン自助グループに通っていますが、今まさに自身の回復と同時に家族や周辺にいる人間関係の関係性が改善されてゆくことを手に取るように実感させられています。

自らが問題に気づき取り組み続けさえすれば、当事者のみならず家族も幸せへと近づける現実的な手段がこの“12ステッププログラム”だと言い換えることもできると確信しています。

ですから、この実感にからめたときにも、扶養強化することで家族と当事者の関係性をこれまでのパターンを使ったまま強化するのではなく、別の新しいパターンでつながり直せるようあえて家族に義務と責任を還元しないのがベターかと思うのです。

家族であれ人生を生きるのは本人しかいません。
そして、家族の扶養に甘んじながら主体的に生きられない人生など、それは自立した人生とは言えない。

あえて、ここは一旦は家族との関係性に問題があったという事実を直視し、大きな痛みを感じつつその痛みを仲間とともに独り向き合い変容させる道を選ぶことが自立への入り口です。
その痛みを受け入れて生きられるようになり精神的に自立してから思う存分家族に恩返しをしても遅くはありません。

自らの生きづらさが発端となった回復に向けての取り組みを続けていれば、実は家族のみならず遠い先祖や今目の前に広がる現実にある生きとし生けるものとの間にある関係性(縁)全てを、癒し受け入れそして愛し慈しむことへとつながっていることに気づくでしょう。

我が国日本が、個人がどのような苦境に陥ったとしても、新たに主体的な人生を歩み直せるような、より生きやすい国へと変容することを願わずにはいられない。