うつ病についてのよくあるぼやき
『うつ病を知ることは人生を制す』
ぐらいのインパクトあると思うよ。
残念ながら一般の人ってあんまり正しく理解してないんだよね。
具体的には”気の持ちよう”で回復するほど甘くはない。
健康な人の落ち込んだ気分には単にその認識を加えることによって気分が明るくなるかもしれない。
しかし、その一言で明るい気分にまで回復するほど、うつ病の不安は甘くはない。
親切心からそういう言葉をかけたくなるのも分かるっちゃ分かるけどねw
オレもよくうやむやにしたいときとか使ったりするしw
しかし、日常会話じゃこれが限界かもしれないね。
より深い部分にまで突っ込んだ話しなんか、日常で出来る機会はごく稀だよね。
◆
うつ病に対するより正しい理解を広めるのがわたしの使命でもありますから、こうやってぐたぐたと小言言ってる場合じゃないんだけどさw
よりみっちりと治療に取り組まないと回復しないのが事実。
具体的なアイデアとしては以下に示す通り。
1.本人が自発的に治療に取り組む動機(主体性)←これ一番大事
2.うつ病を理解する(自己理解も含まれる)←ここが二番目
※可能なら家族の方など周囲にいる人の理解があれば好ましい
3.薬による治療
4.認知の修正(認知行動療法)
5.ストレス低減技法(マインドフルネス、ヨガ)
6.コミュニケーションの訓練(SST)
ここまでは病院でやれる。
これに加えてわたしが目をつけているのが
・スキーマ療法(生い立ちの愛着の傷由来の生きづらさに手当する、より深い技法)
あと、この効果が勝手に得られるのが、
・自助グループによる分かち合いと12のステップをふむこと
うつ病の人の頭の中で繰り広げられている悩みの中核には、
『わたしは何者であるか?』
というものがあると、一般的には言えるでしょう。
過去の名だたる哲学者なんかの書物はこの悩みをより学問的な解釈を加えて言語化したものだと言えましょう。
すぐに名前は出てこないけど、沢山いるw
だって、オレも同じことで悩んでたから直観で分かるんだものw
んで、この問いに答えるには、
『己が何者であるのか?』
という自分を知るということをすればいいわけで、わたしはいつしかやっていていつしか辿り着いていただけなんですけども、うつ病治療の枠組みで言えば上に書いた「2.うつ病を理解する(自己理解も含まれる)」というもので賄えることになる。
あと、『人間とは何か?』というより普遍的な問いもうつ病の悩みに含まれているものでもあり、そういうアプローチをすることも大変有効だとは思う。
しかし、優劣つけるつもりはありませんが、ある程度のことを知的に理解できる人でないと厳しいかもしれませんので、一般的に有効だとは言えないかもしれない。
ちなみに、わたしの場合は、うつ病や発達障害、愛着障害、パーソナリティディスオーダー(パーソナリティ障害)、統合失調症などなどいわゆる”精神疾患”というものを書物や自身の体験を通して理解することで、人間理解というものに転嫁している。
と、書くと主体的にやったようで聞こえはいいが、知らず知らずのうちにそうなっていただけなんだけどねw
(これも、おそらくわたしを超えた存在によって導かれた結果なのでしょう。←本気でこう感じています。)
◆
ここから分かった普遍的なことがらの一つは、
『人間理解には思いやりが大切』
だということ。
そして、やがてはこのことが主観的な幸福感を上げる礎と必ずなります。
人生をあげて積み重ねていればこそ、必ずです。
ですから、冒頭に書いた通り
『うつ病を知ることは人生を制す』
ということになるわけです。
要するに、我をね超えなきゃ本当の意味での幸せはない。
己という我を超えて、他者を理解しようとする態度を身につけねば。
一般の健康な人にとっての”うつ病”とは理解しがたい存在でしょ?
誰にでも理解しがたいものって必ず存在する。
だからいい材料だと思うよ。
そして、人間は自らの欠損した部分を自らに吸収することによって、全体性を獲得しようとし続ける。
これが一般的には「成長する」ということであって、この観点からも我を超えて己の理解しがたい存在に対して理解しようと挑戦する態度を、人生のどこかの時点で育んでおくと、より全体性の獲得が促進される。
要するに成長するって話し。
こういうことを一般的に落とし込むと”教育”なんてことに行き着く。
わたしも教育に対して憤りを持っていた部分は大きい。
しかし、だいぶ落ち着いてはきたが、逆鱗に触れたら顔真っ赤にすることもあるかもね?w
どうだい、理解できるかな?w←という挑戦を投げかけている
こういう意味においても
『人生はまさに挑戦の連続だ』