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うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた患者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

縁と生きる力

今日、以前からお世話になっている知人のところへ行ってきた。

多少おおげさかもしれないが、彼は知人というよりはむしろ、ある意味命の恩人でもある。
彼は、以前、就職の際、わたしがうつ病だと初めてカミングアウトしたにも関わらず採用してくださった方です。
それだけではなく、わたしが休職となった際も病院のデイケアでの治療を後押ししてくださったりと、とても大きな思いやりを持って接していただいたことに、大きな恩を感じています。

その彼とは不思議なもので今でも縁でつながっていて、人生の岐路に立たされたわたしを温かく受け入れ、そして先へと導いてくださっています。

その場所へは久しぶりにお目にかかるもう一人の方もいらっしゃいました。
彼女にも過去に入社の際やそれ以外でも温かく接していただいたことを覚えています。
わたしが休職した直後、孤独で心細くてどうしようもないとき、職場のユニフォームであるジャージの上着を着て過ごし、車の運転席で小さくなりながら彼女から温かく接していただいたことを思い出しながらやり過ごしたものです。
あれは、今から2年ほど前の一昨年の秋頃の話し。

あの頃にわたしを蝕み縛っていた孤独と不安、そしてとてつもなく大きな罪悪感は、今では生きる上で丁度”いい加減”に収まっている。
2年ほどでここまで回復するとはまるでこの身に奇跡でも起きているかのようである。
実は今のわたしはものすごい体験をしているのだろう。

久しぶりにお目にかかりましたが、生きる希望と意欲に満ち満ちていて圧倒されましたw

(しかしながら、その影の部分も一瞬垣間見て、より愛着が増したというw
あー、わかるわかる、オレと一緒ですね、と。
だからこそのあのエネルギーなのも、うなずける。
光と影のギャップが大きなエネルギーを生むのですよね。
少し話しが飛びますが、影が深ければ深いほどに、光である夢や希望もまた大きく培われるものなのです。)

わたしも負けじと、ここ2年ほどで培ったものと取り戻した生きるエネルギーをもってやりとりさせていただきました。
前々から伝えようと考えていた「ずっとお会いしたかったです!」ということばも伝えることができた。

今日会った方々は4名ほど。
立場はそれぞれ違えどその全員が一生懸命に命を輝かせているということを感じさせられました。

ほんと、それぞれ立場が違うんだけどさ、わたしも含めてね、しかしそれぞれが苦悩しつつもそれぞれの道を必死に歩もうとしている姿にね、もう感動しっぱなしでした。
わたしもわたしで岐路に立たされ続けているんですけども、しかし彼ら彼女らの生きる姿と接することで、とても大きな希望と力をいただくことができた日でした。

わたしの感情や感覚をわたしのものとして取り戻すことができ始めているからこそ、岐路に立たされ苦悩しながらもこのようにして喜びも同時に感じることができるのだなと。
こう思うと、またもや『生きてて良かった』感に浸るのであった。

また別の知人は口癖のようによくこのフレーズを言うのである。
『縁は異なもの味なもの』
(ま、本来は異性関係に対して使うフレーズなんだねw)

縁とはまことに不思議なもので、わたしたちが気づかないまま目には見えない縁によって人とつながっているからこそ、わたし(やあなた)は今ここで生かされているのだなと、つくづく感じます。

それも、わたしに過激なまでの孤独感に苛まれた体験があるからこそ、ほんの些細なつながりにも縁を感じることができ、それが生きるということの中にある尊い喜びだったのだなということに気づくことができたのだと思う。

このように考えていると、あの暗闇の中を歩み続けた18年余りの期間は、決して無駄ではなかったのだとさえ思わせるのであった。

実は、
『不幸は幸せへの入り口』
だったのかもしれないね。

やはり、我々には
『いかに人生を受け入れながら生きてゆくか?』
ということが求められている気がするねー。