うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

家族の在り方。

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母性的な男性も確かにいて(何を隠そうわたしとかw 内面がそうだというだけで恋愛対象は異性)、しかし他の大人の女性との関わりを持つようにすればいいんじゃないかしら。


血縁もいいが、血縁によらずにわたしたちは成長できる可能性を既に持っている。

(わたしの愛着回避傾向、回避性パーソナリティが持つ可能性のうちの一つ。これについて詳しくは言及しませんが、本能的に既にインプットされているとも考えられます。)

ようは、内面の父親像と母親像を誰かに投影し満たされればそれでいいのである。
おそらく複数いてもいいんじゃね?
(リアルな話をすれば、対人関係依存に陥りやすいかもしれないが、そこはどうにか駆使するしかあるまい。んー、具体策は考察中であります。)
ちなみにオレは尊敬できる人というのを、ええと誰か一人に見いだすのではなく、一人のここもう一人のここ、という風に複数人に分けてるかな。

だから実際にわたしが師匠と慕う方は一人なのだが、心の師匠的な存在は沢山いるw
本の著者とか会ったことのない人、既に亡くなった人とかも含めてね。

ま、ここ2年ぐらいの間かな、彼ら彼女ら尊敬できる方たちがわたしの周囲にリアルに現れだしたのがさ。
わたしの内面の変化によって、現実に対する印象も変化し、以前からの知り合いが尊敬すべき対象へと変化したり、新たに現れたりね。



世の中にはどうしても理解ある人と理解のない人が存在する。
わたしたちは無理解に悩みがちですが、しかし、理解のない人たちとは距離を置こう。
物理的でもいいし心の距離でもいい。
(愛着回避(回避性パーソナリティ)は内面の混乱を沈めるために、親なる存在との縁を本能的にぶったぎっちゃうんだけどねw しかし、無意識なのであり人の意思の力など無力です。)

理解のある人たちを探してつながる努力を続けよう。
理解のある人が誰一人としていないなら、そのコミュニティはほっといて、赤の他人と新たにつながりを持つようにしよう。
理解を得られるように戦いを挑むということも考えられますが、多勢に無勢で勝ち目がないときは無理して戦いにあけくれず、勇気を出してそのコミュニティから外れるということも考えよう。

当事者同士つながれる環境がもしあるのなら、そこへ足を運び体験を分かち合おう。
ネット上でのバーチャルなつながりもまた癒しへとつながりますから、効果的に活用しよう。

視野を広げると、わたしたち人間は地球上に住むという意味での当事者同士とも言えましょう。
しかし、なかなかどうしてこの理想は現実のものとなる日は来るか来ないか計り知れませんから、あまり期待しすぎないようにした方がいい。
心の中で思っているぐらいがちょうどいい。

しかし、もし行動に移すとしたら、
『違いを指摘するのではなく共通点を見つける』
という風に表現しましょう。
そうすることで、相手とのつながりの感覚(関係性、信頼関係)を育てることができます。

慣れてくると、人気者になれるかも?w
神のように慕われるよ!とおっしゃる方もいるぐらいですし、“地球上の仲間同士”という認識から生まれる発想は本質をついてるかもしれないよ。