うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

統合失調症とわたしの類似性

さっきyoutubeで主に統合失調症の当事者同士の当事者研究統合失調症の当事者の体験談の動画を見ていて思ったこと。

『それ、全部オレにもあてはまるw』

オレも一度、うつ病の症状が悪化したときに感情の起伏が恐ろしく激しくなった時期があって、そのとき統合失調症の薬が処方された。
確かリスパダール
しかし、飲んで効きが強くあまりにもぼんやりしすぎたので飲むのを中止し、医師に相談して元の薬に戻してもらったことがある。

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今「死にたい」と考えている方へ

その気持ち、よく分かります。

こんな歌詞がありました。
「生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい」
確か森山直太郎だったと思います。

あと、以前、精神科医名越康文さんの「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」というタイトルの本を思わず手に取ったことがあります。

それと少しハードな話しになっちゃいますが、わたしの知り合いの高齢の方が障害を負ってそれを苦に、とうとう死のうと決めて車で出たところ、激突する前にエンジンが止まったんですってー!
それを聞いたとき、いくら死のうとしても死ぬべきときまで生かされることになるんじゃないかなと感じて。
それをその場で言葉で彼に「ひょっとしたら今生でまだ果たすべき役割があるからこそ命があるのかもしれない」と分かち合ったところ、おおいに共感してました。
ちなみに彼は半身不随でも車を運転して遠出しますし、独り暮らしもしてます。
エネルギッシュでハイカラな野望尽きないおじいさんです。

または別な方で、5歳の頃に首つろうと木の枝に縄つけて吊ろうとした瞬間、足場にしていた椅子が壊れて生きることになった人も。

この体験を持つ二人ともたまに会ったり電話したりするほど近い仲で、今ではわたしが心から尊敬できる方たちです。

それと、長くなってしまい恐縮ですが、わたしは家族を自死で亡くしましたので自死遺族です。
その家族の死が頭の片隅にいつもあり、苦しみの極地にいながら生きることを選び続けることができたからこそ、今でもまだ生かされています。
その家族の死の悲しみとは既に向き合い尽くしており、今ではいつでも心の中で悲嘆の体験を通して大切なことを教えてくださった存在としてつながることができます。
先日、たまたま生で聴く機会に恵まれ涙をこらえきれませんでしたが、「花は咲く」のイントロからうるっとくるんですけども歌詞の『今はただ愛しい あの人を思い出す』でこの家族のイメージが浮かんで涙が出るんですよね。

自死については様々な意見がありますね。

自死がダメなことだとか周囲に迷惑をかけるから死ぬべきではない、などとは言わない。
実際に死んでしまうほどの苦しみを抱えていたのだから、あれほどの苦しみの中で生きた時間の方があなたにとっての生きたという証だと思います。
むしろ、あんたあれをよく生きたねと、その命に報いたい。

わたしだったら、本当はあなたの命も一人の人間として価値あるものですから自死してもらいたくはないと伝えたい。
実際にわたしも苦しみの中でさえ実は愛は与えられていたのではないかということに気づいた。
だから、いつかそのことに気づくときまで死にたい気持ちを抱えながらでも生きる努力を細々とでもいいから続けて欲しいと伝えたい。
なぜならば、わたしが実際に日々そうして生きてきたし、今の命はそれをしたからこそ生きてる命です。
しかし、辛いなんて表現じゃ軽すぎるぐらいの内面的な痛みや現実を生きることも同時に苦痛の日々でしたので、まるで地獄に足を踏み入れたかのようでした。

それと、他者の死の悲嘆と現実的かつ具体的に向き合い、乗り越えるというよりはむしろその他者の死すら内面に宿しながら自らの命の一部にすることもまた可能です。
それも試行錯誤ながら取り組んだおかげで、やることができましたから、確信に近いものがあります。
大きな辛さや痛みを伴うことは確かで、時間もかかりましたし困難を極めましたが、自己流でもやるしか道はありませんでした。
人間であれば誰しもこの能力を持っていると自信を持って言えます。

わたし自身、生きることにとことん悩んだ過去があるから、今、命の有り難みの大きさが分かるし生きることが楽しくて仕方ない…と、いつかほざいてみたい(笑)

ま、今日一日生きられれば、また明日からもこの繰り返し。
もしもまた、生きることが嫌になるときがきたとしても、またそれをありのまま感じながら生きることでしか、もしかしたら生きられないのかもしれない。
あのとき部屋には弟が残していった『生きろ』と書いてあるもののけ姫のポスターが貼ってあり、数年の間、来る日も来る日も目についていてました。

与えられたこういう体験の積み重ねで生かされてきたんだなと、今更ながらに痛感します。

ま、今日一日が続けば振り返るといつか死ぬまで生きることになってるんじゃないかなー。

わたし自身のことだけではなく、人それぞれにして「死にたい」と考えるようになってゆく経緯は、表現は適切ではないかもしれませんがほんと彩り豊か。
ですから、それと向き合うのはその苦しんでいる当事者そのものですので、もしそのような相手が目の前に現れたのなら、ささやかながらわたしの体験を分かち合うことと同時に、行動化しないように細心の注意を払いながら、相手が相手のペースで自らの経緯(人生)を整理できるよう丁寧に耳を傾け支える態度を持てたらなと思うようになりました。

無差別殺人犯のC・マンソン受刑者の死の話題に触れて ~赦しのプロセスを考える~

無差別殺人犯のC・マンソン受刑者、死去 83歳 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

魂は永遠だという仮説からすると、現世での罪は次の生に持ち越されるという。
本当かどうかは知る由もありませんが、そうだとするならば、いつどの時点で罪を悔い改めようとも変わらぬことだと言えるのではないかな。

人間一般のことを考えると、少なくとも“良心”というものはプレインストールされていますから、かれも心のどこかで罪の意識が芽生えていたのではないか。
本人が意識している領域とは別に、人が人を殺害するということの罪の意識は果てしなく大きなものとなり体に刻まれることになるのだと思う。
実際に彼がどう感じていたのか、それにどう向き合おうとしていたのか(向き合わない選択を含めて)まではこの記事からは見えてはこない。

被害者サイドの中に憤りが芽生えるのは当然でしょう。
しかし、その憤りとは別に、マンソン氏自身の中に生まれたであろう罪の意識がいったいどこへ向かったのか気になるところです。
罪の意識を強制労働の苦しみなどとすり替えるようなやり方とは別に、本人が既に抱えているであろう他者を殺害したことによる罪の意識と真正面から主体的に向き合い内省する行動をうながすことができていたのだろうか。
このようにして、反省によって罪を悔い改め自らを赦すというところまで持ってゆく。
ここまでやれたら、赦しのプロセスは完成かもね。

それと同時に被害者サイドの憤りはまた別に赦しのプロセスを想定しなければならないとわたしは考える。

要は、罪を犯した方と被害を被った方、相方の苦しみを軽減させるべく手当てがなされることを祈りたい。

※わたしが言っているのは犯罪者が犯した罪を正当化して許すのとは違い、本人が贖罪の意識から悔い改め反省するということの中にある“赦し”のプロセスです。罰するにも、いかに被害者感情がそれで“赦し”へと進むかどうか?という観点から考えることが大切なのではないか。殺人犯がいかに死刑となろうとも、失われた命が戻らないことは確かなのだから。哀しみや憤りが変容するための効果が最大化するための犯罪者への“罰”であってもらいたい。

最後に一つ参考に。

作家、アナンド・ギリダラダスによる
▽2つのアメリカの物語と、衝突の現場になったコンビニ
https://headlines.yahoo.co.jp/ted?a=20170523-00002219-ted

幸せと生きる意味と苦しみの関係

幸せってなんだろう|寺田@winks|note

『生きている意味』を感じながら存在できることは幸せ感を感じるための土台になると思う。
これまでの生き方では人生が底をつき生きる意味を喪失した=その時期に何度も「死にたい」「消えたい」願望に来る日も来る日も襲われ続けた。
これはわたし自身が生き方を間違えてたから底ついたってことなんですね。
だからこそその人なりの『生きてる意味感』の質の高まりは、わたし的には幸せというよりは生きる喜びに近いものを感じるかな。

意味は後から体験したことをありのまま振り返ることで深まる。
(リアルタイムで体験することと振り返ることをオーバーラップさせられんのか?w)
生きる意味を渇望せずにそれなりに生きられているのであればさほど気にすることはないでしょう。
しかし、振り返り内省することの積み重ねで深まることは確かですし、苦しみややっかいごとの中からにもその体験が積み重なればなるほどにはっきりと見いだすことが出来ます。
そして、意味は日々の体験によって蓄積したものでアップデートすることができますから、成長しますし方向性が変化することもあります。
ま、逆説的だけど苦しみが深ければ深いほど、質的にも深い意味となり残ってゆくでしょうw
苦しいのは嫌だけど←これ重要w
(しかしながら、そもそもこの世は“一切苦”でありますが同時に“五蘊皆空”である。即ち、この世の全ては苦でありながらそれは実体の無い空である。)

そこで見出だした意味を満たせる場へコミットすれば、喜びが何倍にもなる。
意味は、体験と振り返りによって蓄積されますから、年を重ねると進みたい方向が変わるということもよく起きてくるんじゃないかなと想像します。
若いうちに体験を深めることができれば、一本の太い軸として支えになりますから、人生のより早い時期に安定するでしょう。

加えて、どういったことに価値を感じるかを各々が見いだしておくこともコミットする場を選択する上で大切になってくるかと思います。
ま、それ以前に生きる上で大切になるわなw

このようなことを踏まえれば、より洗練された幸せ感(主観的幸福感)を得ることができるはず、、、ということをわたし自身、これをもとにしてこれから現実の世界でもう一歩踏み込んで試してみるところですw

人は本当に『分かった』ときは涙する

人は「自分のストーリー」で苦しむ… 人生をちょっと楽にするヒント

つい最近までオレも「頭で合理的に理解する」ことが「分かる」ってことだと誤解してた。

実はさ、本当に心の底から、『分かった』ときってさ、涙が流れるんだよね!

喜びとかそういったものに似た感情なんだけど、悲しみも混じってるというか後悔(間違いや失敗体験)や苦労の上に立ってるっていうか、でもとても“生きてて良かった感”に満ちている。

あと、何でわたしたちは合理的に理解しようとするかって言うと、端的に言って『生きるため』。
『周囲の世界を自分なりに理解しておく』からこそ、『いかに生きるか?』ということを自ら創造できる。

しかし『生き方のモデル』になる他者(場合によっては内面的な部分)がいる場合はその生き方を“理解”し“真似(内在化)”することで、創造というものと置き換えられる。

個人にとって、生き方のモデルがいなかったり途中で喪失したりするとアイデンティティが不安定になり再構築する必要に迫られる。
この体験はこう表現するよりも、それはそれはとても壮絶だ。
この状態に陥った方たち(わたし含む)は、読書などをして猛烈に学ぶ時期がある。
なぜ猛烈に“知る”試みを続けたのか振り返ってみたときに、やはり上に書いた
『生き方を再び創造しなおすために、これまでの先入観を捨て学びなおす必要があったから』
だったのだなということに気づく。

わたしも数年前『夜と霧』や『ロゴセラピー』を読みましたがフランクさんが、
「生きることは人生の問いかけに答えることだ」
とおっしゃっていたことがようやく分かってきた。

常にわたしたちは自らを超えた存在によっていかに生きるか試されている。
それは、他者を通して問いかけられることもあれば、または他の動物や自然、もしくは機械などの無機物を通して届くこともあるでしょう。

古来より日本人は、
『全てのものに神が宿る』
ということを見いだしていた。

要するに、フランクルさんのようなホロコーストで苦しんだ体験での気づきのレベルと同じレベルのことが既に文化的に根付いていたということが言えるのではないかとわたしは感じる。

そして、わたしたち日本国民はこのような個人の生き方にも影響を及ぼすようなこのような文化を受け継ぐことができる。

過去の人々が狭く資源の少ない我が国日本で切磋琢磨して生きてくださった遺産だと考えると、何か尊いものを感じます。

うつ病からの回復と学ぶこと

「独学」できる人しか生き残れない時代になった | 知的戦闘力を高める 独学の技法 | ダイヤモンド・オンライン

オレもね、うつ病の症状が最悪だった頃、ぼんやり朦朧とした頭で図書館へ足を運んだことをきっかけにいつの間にか独学し始めたおかげでどうやら今のところ命拾いしている。

主体性というものは自らの頭で考え行動し、その結果を元にまた行動を修正するということの繰り返しだとすると、自由への道こそ学びによって導くことができるという確信に近いものを感じる。

経験を学びによって得た知識で深めると認識能力が高まるのではないかと思う。
しかし、途中で足を止めてしまったら得たものは蒸発するかのように消えて行くのだろう。
人間の脳が忘れるように作られているおかげでね。

テクノロジーによってこれほどまでに世界に蓄積された“知の遺産”たる情報にアクセスが容易な状況にある現代は、非常に恵まれた環境にあるとわたしは感じている。

個人の“知”についても蓄積し続けることがわたしたちが生きるという創造的な営みの中核にあるものであると言えよう。

現時点で、うつ病であり依存症であるどうしようもないわたし一人が生きるに足りる分は、急ごしらえながら賄えたのではないかと思う。

しかし、『人間とは何か?』ということを知れば知るほどに疑問は深まるばかりであり、わたし一人分の命の長さでは到底足りるとは思えない。

だから、これから先もわたしは学ぶチャンスがある限り学ぼうとするだろう。

『いかに生きいかに死を迎えるか?』
それはあなたにしか決められない。

不寛容の極みを体験すると寛容さの価値が身に染みる

「不寛容と戦うよりも、不寛容を弱い立場に押し付けた方が楽なんだよ。」 | Books&Apps

不寛容は必ずその集団の弱い立場に向けられるし、向ける方のロジックは社会的に受け入れられやすいルールや規則、風習などを使い「当たり前だ」といわんばかりに押し付けてくる。

たとえ小さくてもこのような体験が数えきれないほど積み重なると、
「“普通”なんかクソくらえだ。てめーら自身その意味を理解し尽くした上で、別な考え方ややり方も考慮にいれ、深く熟慮した上で、そのやり方を“普通”って言ってんだろうな?てめーらから虐げられるおかげで、オレなんざ来る日も来る日もそれで脳内会議に明け暮れなきゃならねーじゃねーか。他者を理解しようともせず熟慮しようともしないくせに、そんな軽口叩いてんじゃねーよ。浅い人間ふぜいが。」
まー、怒りに乗じてこのようなひどく相手を傷つけかねない思考が瞬時に頭を駆け巡る。

最近は落ち着いてきたもので、怒りに乗じてつい↑のものよりマイルドな言動で相手を責めたすぐ後、その相手に会いに言って経緯を軽く説明しつつ相手と普段通りに会話したりすることでフォーローできる相手もいるという体験をした。
いやー、怒りに震えているうちは囚われているから相手を飲み込まんばかりの勢いなんだが、それを自分の責任だとしてやんわりと受け入れてくださるものだから、わたし自身一瞬拍子抜けするほどだ。

成熟した人間が身につける態度として、この身に刻んでおく。
素晴らしい。

あと、不寛容さは眼差しの時点ですぐに分かる。

最近では、そういうのを察知して、
「あー、こりゃ人間関係殺伐としかねないなー」
と、わたしのできることをして対処するようにしてはいる。

これがまたやみつきw
昔、と言ってもほんの数年前までわたしはどこへ行ってもだいたい一番下っぱなことが多かった。
物静かだったこともあり昔から不寛容な態度を向けられることが多かったが、大人になったら多少マシになるかと思いきやそんな気配は一向になく、まーそれはひどい扱いを受けたものだ。
しかし、相手の人間性を変えることはてまきませんから、そのわたしなりの原因をさぐるとどうやら対人関係では低姿勢すぎるわたしの態度がやがて相手が図に乗り暴走する行動を作り出していた、ということになんとなく気づいた。

それにしても、大人なんだからおまえら歯止めきかせろよ…、と、わたしにとって大人であれば“当たり前”に他者尊重の態度が身に付いているもんだと誤解をしていた。

しかし、これでもまだ受け入れきれず、過去の傷は疼きますから一言忠告させていただきたいんですが、
「その他者を傷つけたという“業”はいつか必ずあなたの前にも現れます。そのようにしてこの世界は作られていますから、言動には最新の注意を払い丁寧に生きていただきたい。」
と願わんばかりである。

傷つけられた方はね、そのことを受け入れ原因を自らの内に発見し赦し手放すことで、魂の成長の糧になりますから考え方によってはありがたい。
だけど、傷つけた方は実はわたしち人間が生まれ持つ“良心”によって罪悪感が募ってゆきますから、弱った時に限ってどわーっと溢れ出てくることもありますから、注意が必要だとしか言えない。

これまでの人生で両方の極限みたいな立場を体験してきましたが、つらいなんてもんじゃない。
苛まれて死にたくすらなる。
日常生活なんか簡単に脅かされる。

しかし、怖いことばかりではなく、『寛容さ』を心の片隅に置いておけば心の落ち着きを得られますし、やがては豊かな人生を築くための礎となるでしょう。

“思いやり”や“他者(自己)理解”こそ愛情の現れであり、豊かさの象徴です。