うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

生きるために必要な関係性の話

私たちが生きていくために必要な関係性にはまだ名前がない――家族と社会の新しいあり方について - はたらく女性の深呼吸マガジン「りっすん」

わたしも「家族とは何か」ということに思いを馳せることがよくある。

以下引用↓↓↓
> これまでPIECESがつくろうとしている「しっくり来る名前がまだ存在しない関係性」について考えてきました。アーレントの「親密圏」という概念を補助線に引きましたが、まだその関係性に名前をつけることまではできていません。「家族」でもなく、「友だち」でもなく、単なる「他人」でもなく、「先生」でもない、この関係性。
↑↑↑以上引用
これに当てはめるものとして、例えば<仲間>ということばはどうだろうか?
親ではないが子どもの支えとなる対等な関係性を持つ人に対してだろうから、若干ズレてるかもしれないが、対等であることを通して心を開いて大切なことを相談できるようになると思うし、対等な態度は何よりも優先すべきことなのではないかなと。
年齢的に大人と子どもなど明らかに上下関係が発生しそうな関係性においては、特に意識して然るべきものだとわたしは常日頃から考えて、拙いながらも行動に移しているつもりではあります。

家族ではないがこれまで家族が担ってきたような親密性の機能を備えている、新たな関係性。
なかなかこれは最先端をゆくものだね。
わたしも過去の体験からこれと似たようなことを考えることが多い。
というかまるで同じかもしれない。
とても親近感です。

以下、余談です。

わたしの通う自助グループのメンバー同士では“仲間”と呼び合うんですけども、深い体験談を共有するという意味では、いつしか家族以上の関係性がそこに生まれることがある。
プライベートではほぼ関わりを持たないはずなのに、不思議と感覚的にはそうなってるんですよね。

だからこそ、わたしたちのような“孤独感”の中をどうにかサバイバルしてきた仲間たちが癒されることにより、存在が許された感覚が生まれ、生きづらさが取れ、性格も変わり、新たな関係性が構築されると共に、新たな人生の幕が上がる、ということを多くの仲間が体験しているのでしょう。
わたしもまたその恩恵を受けている一人です。

感謝。

うつ病と無気力や孤独感

うつ病は美しくなんかない」ある女性が明かした “うつ病であることの告白” に賛同集まる
http://rocketnews24.com/2017/05/31/903696/?utm_medium=partner&utm_source=gunosy

『無気力』はうつ病という“病気”の症状のうちの一つで、風呂に入る、歯を磨くなどの行動をとることが極端に億劫になる。
男性の場合はヒゲを剃るのが億劫になり、よく無精髭になりがち。
一見すると同じように見えるかもしれませんが、健康な人が感じる「面倒くささ」とは別物です。

あと、孤独感から来る悲しみ。
これも症状にある。
わたしの場合はこれによって涙はあまり流れませんでしたけど、切なさや寂しさというものが半端ではなかった。
このときにわたしの思考に現れたのが「消えたい」というもの。
消えてしまうぐらいの孤独感がこの思考を生んだのでしょう。
想像以上にハードなものがありました。

体の感覚的には、もはや半透明かのように感じるほど。
体の感覚も無いに等しく、後から知りましたがあれは現実感覚に乏しい“離人症(感)”そのもの。

その他、不眠に過眠、常にある漠然とした不安感、予期不安、感情の鈍麻、焦燥感、疲れやすさ、性欲減退、などなどのオンパレードで生きていられるものではなかった。

悪化したときは「死にたい」が出てきてやばかったですが、過去に与えられていたいくつかの体験が糧となり、なんとか耐えることができた。

今思うと、ハードだと感じていた体験に守られていたのだなと、あれはわたしの命を守るべく起きた出来事だったのだと、感謝しています。
二つあって、両方とも人の死がからんでいる。
そして、このことや他の人の体験談などから、
『他者の死によってもたらされた悲しみは自らの命の糧となる』
という教訓を得ました。

しかし、うつ病がもたらす症状は人間として正常な反応です。

なぜかというと、環境に対する不適応を起こしているということを知らせるための体からのメッセージだと考えられるから。
無気力になるということは、一旦活動を停止させることにより、環境が変化するのを待つという、わたしたち人間が大自然の中で生きてきた頃の名残だと、わたしは感じていました。

しかし、人間は環境の変化を待つばかりではなく、主体的に行動を変化させることにより環境を変えることができる生き物です。
ですから、どうにかして『新たな環境に変える』という方向に向かって歩き出すことが結果的に回復へとつながると言えるのです。

人によって原因は様々でしょう。
過労気味の人は休養の後に仕事量を調整する必要があるでしょうし、思いきって転職を考えるのも手かもしれません。
しかし、うつ病の際には前頭葉の働きが鈍ることによって判断力が極端に低下しますから、すぐに決断することはしないこと。
後からでも遅くはありませんので、まずは後回しにして休養を取ることに専念を。

わたしの場合、生き方を変えざるを得ないところまで堕ちた。
過去のトラウマによって対人恐怖(見捨てられ不安)があって、その体験を見つめ直し、新たな意味を見いだして再スタートしなければならなかった。
半ば孤独な作業でしたし、困難を極めましたが、振り返るとアイデンティティを再構築したぐらいのインパクトがありました。
しかし、生まれ直したぐらいの新鮮さがあるにはありますが、しかし、対人関係について一から学び直しつつ体験を積み重ねなければなりませんでしたから、大変でした。
今でもやり続けていますし、もはやこの作業は生業に近いものがあります。

生き方を変えた、というよりは、ゼロから再構築しなければならないほどだったんだよねw

ほんとね、今までの人生で積み重ねてきたこと全てがガラガラと音をたてて崩れたかのよう。
実際、上に書いたように一から感覚を調整しなければならなかったということが物語っているように。

精神的にも赤ちゃん返り(退行)しましたから、ほんと、生まれ直したぐらいのインパクトがあったと思う。

困難を極めましたが、あきらめずにやり続けていたら、不思議と助けとなるものが周囲に現れ続けています。

その前段階では、実はわたしは神に祈った。
宗教ではないところで使われている「平安の祈り」というものを当時の手帳に書いてことあるごとに読んでは祈った。

『神様お与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変える勇気を
そして二つのものを見分ける賢さを』

当初はつらい現実から逃れるためだったんですが、思い返すとあれがターニングポイントだったんだなと、今、はたと気づいた。
それ以降だもんなー、別の人生が始まり出したのがさ。

しかも、今ではこの祈りを実際に使っている自助グループに参加することにもなっていて、人口の多い地域にはわりと存在しているようですが、ここ酒田で始まったのは近年だそうで、まさしく奇跡に近いものがある。

ということからの教訓は、
『心からの祈りは通じる』
ということになるかな。

うつ病から始まり、徐々に宗教っぽくなりましたが、それだけわたしがうつ病で味わった苦しみは深かったということが言えると思う。

この自助グループ、アメリカでアル中の当事者から始まったもので、薬中の自助グループでも同じ仕組みでやられています。
実は、先日、AA(アルコール依存の当事者グループ)とダルクさんのやっているNA(薬物依存の当事者グループ)のミーティング(分かち合い)に参加させていただく機会があったんですが、わたしの参加している自助グループとほぼ同じで驚きました。
さすがに、アル中や薬中の方々の体験談は壮絶なものがありましたので、わたしとソレは霞んで見えるほどでしたが。
と、いう体験を通して、
『自分という存在のちっぽけさ』
を体感させられています。

しかし、AA(アルコホリックアノニマス)もNA(ナルコティック・アノニマス)の方たち両方ともウェルカムな態度で受け入れてくださり、静かに感激しているところです。
やはり、ハードな体験をなさってきた方たちですね、そこから必死に回復しようと真摯に取り組んでいるからこそ、わたしのような人間にも温かく接することができるのでしょう。

とても貴重な体験をさせていただいていて、感謝しかありせん。
ありがとうございました。

思い通りに生きてゆけないことに対する無力

思い通りに生きてゆけなくなったことに対して無力を認める。
もっと謙虚にならにゃあかんと思った夜だった。

わたしは文字通り病気。
どうやらうつ病からは脱した状態は維持できるようにはなったけれど、謙虚さを忘れぬようにしなければすぐに逆戻りになる自信がある。
仕事やら何やらに依存しすぎて、いつしか燃え尽きるということを繰り返さぬためにも、わたしの思い通りにことは運ばぬという認識を深め、謙虚さを大切に生きてゆかなければならない。

それと他者に感謝することを忘れないようにもしたい。
ともすると、生きていることや他者の配慮が当たり前かのように感じ、それならばまだいいもののもっと満たされたいと思う欲求や思い通りにしたい欲求が先立ち、他者の存在があるからこそ生きていられるというのに、不満ばかりが募りがちである。

それと、すぐに承認欲求から、自分の考えを押し通そうとその瞬間に虚勢を張ったりするのも、相手から見損なわれたくないというわたしの弱さの現れでしかない。

過去、その果てにあったものが孤独の極みでありうつ病であった。

今日一つ、自己嫌悪や不満を抱きつつも、他者はわたしを見捨てないでいてくれるんだな、という現実があることに気づいた。

多少おおげさな表現になるかもしれないが、そのような他者の存在があるからこそ、わたしがここに存在することも許されているのではないか。

ほんの一瞬だがこのような気持ちになりました。

すぐに他者に依存したくなったり人が怖くなる弱いわたしだけど、今のわたしはそこにいてくださる方たちの存在に生かされています。

ありがとうございました。
感謝。

神社とわたしと信仰心

https://newspicks.com/news/2241648
http://www.sankei.com/smp/west/news/170514/wst1705140013-s1.html

うちは神社が近いなんてものじゃなく、自宅のすぐ隣だ。

なるほどね。
だからわたしは、約18年うつ病に苦しんだけど、今ではうつ病の神から尊い教えとも言うべき数々の体験を与えていただいたかのごとく、それがおおいなる学びへとつながっていて、喜びに満ちあふれるようになったのは!

だいぶ誇張したw

しかし、この自宅の隣にある“神社”の存在が、わたしの病んだ意思をわたしを超えた存在へと明け渡し普通の人間として霊的な成長のプロセスを歩み始めるきっかけの一つとなったことは確か。

あまりにも神社が近すぎて、おそらくですが、ありきたりすぎる光景に脳が順応していたのでしょう、その結果、近年まで神社を神社だと認識すらしていなかった。
しかし、数年前に慢性化していたうつ病が劇的に悪化しアイデンティティ崩壊に陥ったことがきっかけで「わたしの自宅の隣には神社があったのだ」ということを思い出したのである。

仏壇の上にはミニチュア神社ともいうべき巨大なサイズの神棚にミニ神社が祀ってあり鈴までついていて、仏壇を拝むのとセットでこのミニチュア神社も同時に拝んでいた。
もはや、しきたりなど蹴散らさんばかりに、今わたしが拝んでいるのが仏なのか神社なのか自分自身識別不能になりそうであるが、その対象がいったい何であるかは幼いわたしには関係のないことだったのである。

おそらく、このような体験の積み重ねが、ユング的に言えば深層心理にある『わたしたち人間を超えたおおいなる存在の原型イメージ』を刺激し続けることになり、そのイメージが強化されたのではないか、と推測している。

そもそも“神”という存在に対しては人それぞれが「信じる」もしくは「疑う(信じない)」という関係で結び付いており、印象は様々でしょう。
しかし、近年に見られる既存の宗教が没落の一途をたどる状況においてもなお、わたしたちの中にある『信仰心』ということばで形容されるような尊い力が失われてはいないのだな、ということを実感している。

先日、鶴岡市羽黒のいでは記念館であった、知の巨匠、内田樹さんと内山節さんの対談『日本の聖地巡礼とコミュニティー』でもより緻密に語られていたことには驚くとともに感動を覚えた。

わたしは個人的にざっくりと↓にあるような状態から回復した体験をもってして、このことを実感するに至ったのです。
近年、うつ病が悪化してハイパーに退行していた時期、あのときは無気力かつ繊細さに磨きがかかり対人関係にも超過敏になっていた上に、些細な傷つき体験すら激しいトラウマと化すほどにフラッシュバックのオンパレードで荒れ狂う感情の渦に見舞われていた。
↑この体験は、渦中にいた頃はこの世の地獄と言っても過言ではないほどの過酷さがありましたけども、しかし、今では体の感覚などに多少の後遺症は残っていますが、今ではあの頃には考えられないような内面の平安と落ち着きを手に入れている、という事実。

宗教の枠に囚われない純粋な神。
わたしのいる文脈では、これを『ハイヤーパワー』といいますが、しかし、この存在はわたしたち一人一人固有の存在であり、その対象が何であるかも一人一人に委ねられている。
そもそも、わたしたち神との関係は人それぞれ固有であり、表現を変えれば信仰心の深さは人それぞれだということが言えます。

上の方にも書きましたが、この“信仰心”とはなにも『信じる』というあり方だけではなく、『疑う(信じない)』という仕方でも存在することがあります。

信じるも信じないもあなた(やわたし)に委ねられるものですが、そもそも「疑う」ということはそこに存在しているものを疑うという仕方で存在すると考えることもできましょう。

どうあれ、強制はできませんが、わたしは現時点では助かっています。

明日はどうなるか分かりませんけども、わたしたちは朝起きると同時に生まれ、夜寝ると同時に死ぬ、というサイクルを繰り返していると考えると、今日一日生かされたことに感謝せずにはいられなくなります。

ありがとうございました。

TED トーク◇シソンケ・ムシマン: 物語に感動したら、行動に移そう

この TED トークを見て、あなたも興味があるのではないかと思いました。

シソンケ・ムシマン: 物語に感動したら、行動に移そう
https://go.ted.com/CyXy

お気に入りのプラットフォームで TED トークをご覧になれます。詳しくはこちらをご覧ください:https://www.ted.com/about/programs-initiatives/ted-talks/ways-to-get-ted-talks

縁と生きる力

今日、以前からお世話になっている知人のところへ行ってきた。

多少おおげさかもしれないが、彼は知人というよりはむしろ、ある意味命の恩人でもある。
彼は、以前、就職の際、わたしがうつ病だと初めてカミングアウトしたにも関わらず採用してくださった方です。
それだけではなく、わたしが休職となった際も病院のデイケアでの治療を後押ししてくださったりと、とても大きな思いやりを持って接していただいたことに、大きな恩を感じています。

その彼とは不思議なもので今でも縁でつながっていて、人生の岐路に立たされたわたしを温かく受け入れ、そして先へと導いてくださっています。

その場所へは久しぶりにお目にかかるもう一人の方もいらっしゃいました。
彼女にも過去に入社の際やそれ以外でも温かく接していただいたことを覚えています。
わたしが休職した直後、孤独で心細くてどうしようもないとき、職場のユニフォームであるジャージの上着を着て過ごし、車の運転席で小さくなりながら彼女から温かく接していただいたことを思い出しながらやり過ごしたものです。
あれは、今から2年ほど前の一昨年の秋頃の話し。

あの頃にわたしを蝕み縛っていた孤独と不安、そしてとてつもなく大きな罪悪感は、今では生きる上で丁度”いい加減”に収まっている。
2年ほどでここまで回復するとはまるでこの身に奇跡でも起きているかのようである。
実は今のわたしはものすごい体験をしているのだろう。

久しぶりにお目にかかりましたが、生きる希望と意欲に満ち満ちていて圧倒されましたw

(しかしながら、その影の部分も一瞬垣間見て、より愛着が増したというw
あー、わかるわかる、オレと一緒ですね、と。
だからこそのあのエネルギーなのも、うなずける。
光と影のギャップが大きなエネルギーを生むのですよね。
少し話しが飛びますが、影が深ければ深いほどに、光である夢や希望もまた大きく培われるものなのです。)

わたしも負けじと、ここ2年ほどで培ったものと取り戻した生きるエネルギーをもってやりとりさせていただきました。
前々から伝えようと考えていた「ずっとお会いしたかったです!」ということばも伝えることができた。

今日会った方々は4名ほど。
立場はそれぞれ違えどその全員が一生懸命に命を輝かせているということを感じさせられました。

ほんと、それぞれ立場が違うんだけどさ、わたしも含めてね、しかしそれぞれが苦悩しつつもそれぞれの道を必死に歩もうとしている姿にね、もう感動しっぱなしでした。
わたしもわたしで岐路に立たされ続けているんですけども、しかし彼ら彼女らの生きる姿と接することで、とても大きな希望と力をいただくことができた日でした。

わたしの感情や感覚をわたしのものとして取り戻すことができ始めているからこそ、岐路に立たされ苦悩しながらもこのようにして喜びも同時に感じることができるのだなと。
こう思うと、またもや『生きてて良かった』感に浸るのであった。

また別の知人は口癖のようによくこのフレーズを言うのである。
『縁は異なもの味なもの』
(ま、本来は異性関係に対して使うフレーズなんだねw)

縁とはまことに不思議なもので、わたしたちが気づかないまま目には見えない縁によって人とつながっているからこそ、わたし(やあなた)は今ここで生かされているのだなと、つくづく感じます。

それも、わたしに過激なまでの孤独感に苛まれた体験があるからこそ、ほんの些細なつながりにも縁を感じることができ、それが生きるということの中にある尊い喜びだったのだなということに気づくことができたのだと思う。

このように考えていると、あの暗闇の中を歩み続けた18年余りの期間は、決して無駄ではなかったのだとさえ思わせるのであった。

実は、
『不幸は幸せへの入り口』
だったのかもしれないね。

やはり、我々には
『いかに人生を受け入れながら生きてゆくか?』
ということが求められている気がするねー。

TED トーク◆ブレネー・ブラウン:傷つく心の力

この TED トークを見て、あなたも興味があるのではないかと思いました。

ブレネー・ブラウン:傷つく心の力
http://go.ted.com/muF0Zg

お気に入りのプラットフォームで TED トークをご覧になれます。詳しくはこちらをご覧ください:https://www.ted.com/about/programs-initiatives/ted-talks/ways-to-get-ted-talks

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