うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

なぜそれは起こるのか?シェルドレイクの仮説(形態形成場) | 真実を探すブログ The age has come "the mind eye" will open! Divine Paradise is realizing!

なぜそれは起こるのか?シェルドレイクの仮説(形態形成場)|真実を探すブログ The age has come "the mind eye" will open! Divine Paradise is realizing!

本届いたよ。


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よし、届いた。
Amazonで古本買ったの初めて。

題名はスピリチュアル的だけど、臨床心理士の礎を築いた河合隼雄さんや福祉や医療分野で名前を目にするエリザベス・キューブラーロスさんなど名だたる方々が名を連ねてる。

科学の分野がいよいよスピリチュアル的な世界に足を踏み入れ出した現れでありましょう。
両方あんのよ。

現象を観察し科学のものさしで数値化し一般化しているのであって、そもそもそこにあったのはより深く広い世界(自然=宇宙)。
最近のわたしたちはね、簡単なこの事実を忘れていたのです。

だから、思い出そう。
わたしたちがこの世界に産み落とされたあの日のことを。

家族の在り方。

headlines.yahoo.co.jp

 

母性的な男性も確かにいて(何を隠そうわたしとかw 内面がそうだというだけで恋愛対象は異性)、しかし他の大人の女性との関わりを持つようにすればいいんじゃないかしら。


血縁もいいが、血縁によらずにわたしたちは成長できる可能性を既に持っている。

(わたしの愛着回避傾向、回避性パーソナリティが持つ可能性のうちの一つ。これについて詳しくは言及しませんが、本能的に既にインプットされているとも考えられます。)

ようは、内面の父親像と母親像を誰かに投影し満たされればそれでいいのである。
おそらく複数いてもいいんじゃね?
(リアルな話をすれば、対人関係依存に陥りやすいかもしれないが、そこはどうにか駆使するしかあるまい。んー、具体策は考察中であります。)
ちなみにオレは尊敬できる人というのを、ええと誰か一人に見いだすのではなく、一人のここもう一人のここ、という風に複数人に分けてるかな。

だから実際にわたしが師匠と慕う方は一人なのだが、心の師匠的な存在は沢山いるw
本の著者とか会ったことのない人、既に亡くなった人とかも含めてね。

ま、ここ2年ぐらいの間かな、彼ら彼女ら尊敬できる方たちがわたしの周囲にリアルに現れだしたのがさ。
わたしの内面の変化によって、現実に対する印象も変化し、以前からの知り合いが尊敬すべき対象へと変化したり、新たに現れたりね。



世の中にはどうしても理解ある人と理解のない人が存在する。
わたしたちは無理解に悩みがちですが、しかし、理解のない人たちとは距離を置こう。
物理的でもいいし心の距離でもいい。
(愛着回避(回避性パーソナリティ)は内面の混乱を沈めるために、親なる存在との縁を本能的にぶったぎっちゃうんだけどねw しかし、無意識なのであり人の意思の力など無力です。)

理解のある人たちを探してつながる努力を続けよう。
理解のある人が誰一人としていないなら、そのコミュニティはほっといて、赤の他人と新たにつながりを持つようにしよう。
理解を得られるように戦いを挑むということも考えられますが、多勢に無勢で勝ち目がないときは無理して戦いにあけくれず、勇気を出してそのコミュニティから外れるということも考えよう。

当事者同士つながれる環境がもしあるのなら、そこへ足を運び体験を分かち合おう。
ネット上でのバーチャルなつながりもまた癒しへとつながりますから、効果的に活用しよう。

視野を広げると、わたしたち人間は地球上に住むという意味での当事者同士とも言えましょう。
しかし、なかなかどうしてこの理想は現実のものとなる日は来るか来ないか計り知れませんから、あまり期待しすぎないようにした方がいい。
心の中で思っているぐらいがちょうどいい。

しかし、もし行動に移すとしたら、
『違いを指摘するのではなく共通点を見つける』
という風に表現しましょう。
そうすることで、相手とのつながりの感覚(関係性、信頼関係)を育てることができます。

慣れてくると、人気者になれるかも?w
神のように慕われるよ!とおっしゃる方もいるぐらいですし、“地球上の仲間同士”という認識から生まれる発想は本質をついてるかもしれないよ。

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引用↓↓↓
> だが結局のところ、人の上に立つ人物は、言ってしまえば
>
> 「現実を見る、嫌な奴」である。
>
> 現実に人を動かすとは、そういうことだ。

いやー、わたしはこれ読んで誠実さを感じたよ。
現実を直視することはときとして痛みを伴うもの。
それを認識して嫌悪感やもどかしさを感じつつも、部下たちがのびのびと働けるように手を尽くす。
よく訓練しないと難しいかもね。

残念ながらあんまりいない。
わたしがそうなれたらな、と夢見ていると同時に日常を通した実践の中で訓練していますよ。

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あれ、さっきの投稿この記事シェアしたんだけど、写真アップしたらシェア記事情報消えるんだな。

懲りずにコピペしとくw

あ、ちなみに感覚を味わいながらやる皿洗いはね、一種の瞑想なのよ。

ではコピペ↓↓↓

眠りに入りやすくするためには、その人なりの習慣によって、体、特に脳に「これから睡眠に入りますよ」ということを認識してもらうことが大切だとよく言われますね。

睡眠障害の発端となった“悩みごと”。
それが解決した後も入眠が困難になった状態を<原発睡眠障害>というそうだ。

ああ、違ったw
そもそもあった悩みごとが解決した後にも『眠れない』ということそのものが悩みごととなり、睡眠障害の様相を呈するのが原発睡眠障害だったw
書いててなんかおかしいと思ったんだよな。

あと、わたしなりにこれを紐解いてみると、<体>目線から考えられそうなことがある。
自律神経、特に交感神経の昂る習慣が、体にインプットされることにより、心理的な要因(悩みごと)が解消した後にも肉体的な要因により「寝付きにくい」ということもあるのではないかな?

よく言われるホメオスタシス(恒常性維持機能)の一種だと考えて差し支えないと思う。

わたしも長らく睡眠には悩まされた。
うつ病が発端となり、セットでついてきたのが睡眠障害

体験した症状としては、
入眠困難(寝つけない)
中途覚醒早朝覚醒(途中で目覚める)
・過眠(寝過ぎる)
この3つかな。

そのときどきで長期間作用型、中期間作用型、入眠用の短期間作用型、それぞれの睡眠導入剤を服用していたものだ。

今では睡眠についての悩みは抱えていないが、活動しすぎたり生活リズムが乱れるととたんに睡眠の質が激減する。
あと、わたしはよく短時間(~30分)の昼寝をする。
どうやら脳の活動が活発らしく、すぐに疲れるなのでもっとこまめに昼寝を生活に取り入れたいと考えているところである。
ちなみに、思考を現実のものとするための訓練として行動もセットでやっとります。
つーか、日常のフィールド全てがわたしにとっては訓練、否、修行なのだよ。

修行といえど、なにも行動についてだけではなく、休憩についても意識したいと先日思い立ってやってるところ。

それはいいとして。
一般的に「これはいいよ!」っつーものを取り入れるのもまたいいのだが、合う合わないはありますからあまり気合い入れてやりすぎると、それがかえって寝つきの悪さを促したりしますから、適当でいいのです。

そして、眠れないのなら体のその声に合わせて眠くなるまで無理して寝る必要はありません。
これは精神科の心理教育で学びました。
ただ、リズムを整えるために、起床時間は一定にするのを心がけることが大切だと言われています。

現代人は何かと人生に忙殺されがちですから、うつと睡眠に関してはもはや正面から向き合わなければならないときに来ているのではないかなと、わたしは感じています。

ときとして薬に頼るのもいい。
わたしもたまに余ってるのを飲む。
しかし、わたしは体験から大切なのは生活全体を通した『習慣』だという風に考えます。

ときに年間50冊は読破とはいかないまでも、目は通してる気がしてるのだが、いかんせん最近失速ぎみである。

50冊だとだいたい週一冊ペース。
読む人はもっと読むよね?

まあ、しかし、以前は強迫観念に駆られた病的な読書だったのだけど、いわば最近は落ち着きを持って無理なく読書に向かっているということであるな。

あと量を読むにはなかなか難儀する。
なので興味ある箇所から読み進めるとか、あとは師匠が言ってたんだけど熟読しすぎなくても自分にとって大事な箇所は残るそうなので熟読せずとも目を通すぐらいでいいらしい。
試験勉強とかはみっちりやらにゃあかんだろうけどねー。

わたしも無理せず飽きたら読むのやめることにした。
空き時間にちょびちょびと。

うつ病をひきうけて生きる。

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わたしの簡易祭壇。
これぞ、マルチタスク飲みである。
単にだらしないだけとも言うがw

自宅でもねー、気づくと3つぐらい同時に手をつけてる。
全部飲み干す前に次のに手をつけてはの繰り返し。
ま、“残す”というのはわたしの貧乏性の現れでして、もったいないとは名ばかりの捨てられない執着の囚われである。
そして、次のものにすぐ手をつけるのは、興味が次々に移り変わるという内面の現れでもある。

熱しやすく覚めやすい。
いやはやこのような気質を持って生まれた宿命ともいうべきか、わたし自身も振り回される日々である。

あ、これはこないだ撮った写真ね(・ω・)

今日からバイトが休みのため、
昼からストア三吉で弁当買って飯を食い、平田タウンセンターで知り合いとだべったり本読んだり借りてる本を借り直したり用事をすませた後、総合支所で自立支援医療証の更新の手続きをし、明日のハロワの書類を揃え、さっきNPOの理事長さん宅で白熱してきたばっかw
なげーよなw

あ、失業保険もらえるかもしれない。
ほんと、ギリギリで首繋がっている。

しかし、これはこのような体験を通して学びなさいというわたしの人生からのメッセージ。
ここ2年ぐらいの間(その前から知識としては過去との向き合い方を学び続けかつネットに日々書き殴ってきた)、現実を通してこれまでの人生を振り返る機会を与えられているんですけど、このプロセスを経て体験から教訓を得る術を体得した今だからこそ、これから先に起こる出来事も全ての体験がわたしの学びとなるのだろうなと心から思えるのです。

あと、自立支援医療証を持っていると、医師の診断書が必要となりますが、精神科通院の医療費と薬が自己負担が1割になります。
お世話になることがないことを祈りますが、いざというときの助けとなりますから覚えておいて損はないかと思います。

わたしは健常者として社会、特に職場というものにずっと馴染めずにこの年齢となり、かつうつ病の再発を繰り返しにくりかえし、障害者手帳も申請しようとしたけど該当せず、どちらにも属さない、、、がわたしは人間であることには間違いない。
ほんと、間にぽんっと追いやられる。
イコール
『おまえは一人生き自らの力で人生を切り開いてゆけ!』
と言われているがごとく。

ええ、ええ、これまでもそのように生きるしかなかったし、その通り精神疾患を抱える当事者として生きてゆきますとも。
ほんとわたしの神様は酷なことしやがるぜ。
やめてほしい。
(ちなみに恨むなら神を恨むといいらしいよ。逆に許しと愛を与えてくださるんだそうです。にわか信じ難いでしょうけど、わたしはこれを実感しています。しかし、疑う気持ちがあるのなら疑うしかあるまい。そこが入り口なのだから。これ以上は割愛w)

幸い、奇跡的にも回復状態を維持できており、再発のリスクを抱えているとはいえ、体の声を尊重し丁寧に生きてさえいれば問題ないレベルにまで到達できたと自負している。
うつ病じたい完治とは言わずわたしのような状態を指して『寛解(かんかい)』したと言いますので、ぜひ覚えておいていただきたい。
うつ病の再発を繰り返すとさ、脳のね、構造が変化してさ、再発しやすくなってんだって。
わたしの主治医の話しなんだけど、ソースは不明だけど論文引用してしゃべってた。

時代はうつと孤独の世界へといつしか突入しているようで、あらかじめ知識として知っておくことによって、転ばぬ先の杖となることでしょう。
しかし恐れることはありません。
回復するまでにそれは様々なことを体験したわしがここに生きていますから、何かあったらすぐに相談してください。
きっとわたしの存在が、あなたの薬となりましょう。

わたし自身、うつ病の再発はざっと数えたら大小合わせて10回ほど。
生きているのが不思議なぐらいです。
しかし、途中で生き方変えた方がいいと気づけなかったのかという反省がある。
生き方の変え方からして1から学び直さねばならぬほどだったのだけどね。

しかし、そんなに難しいことはないよ。
一言で言えば
『自分に素直な生き方』
へと徐々にシフトしてゆく、ということが基本となってます。
わたし自身ね。

ほんと、我ながらクレイジーです。
そうです、わたしはアホがつくほどのバカ正直です、うっかり何度も命を落としそうになりました。
ごめんね、わたしの体。
しかし、今ここに生きていられる体を与えられたことに感謝せずにはいられません。

そんなことはいいとしてw
わたし、NPOの理事を任命してくださった理事長さん宅へ行ってきたの。
雑談の中で、現状どうなってるのかヒアリングして、<わたしのこれから向かおうとしている仕事>について熱く語らせていただいた。
緊張しいで普段物静かなわたしはリアルではなかなか安心して考えを正直に自己表現できる相手は限られている。
その限られた相手のうちの一人です。
(別口でよりスケールの大きな話しにもなったんですが、それについても超白熱した!まるでわたしの師匠と同じこと言ってんなー、しかし師匠は既にそれを予言してたなーと。彼は人を解放に導く役割を担っているんでしょう。おそらくわたしもそのうちの一人。現実に照らし合わせて生かすしかあるまい。おそらくこういうことがわたしに与えられている使命。)

リアルに口に出して表現し続け、思想を固めることが今のわたしに与えられている課題でして、それが分かってから機会を見計らいつつもすぐに行動に移している自分がいて驚き。

最近、悩むより前に行動してることが増えてきたな。
まー、よくすっ転ぶのは前と変わりないんですけども、その失敗から学ぶことの深さたるや、尊くてたまらないという実感。
やつまちまった感もそれはでかいですけども、それにも増してありがたくてたまらない。
まるで永遠なる体験を手にいれたかのような感覚になります。
しかし、一瞬一瞬同じことは何一つ無いと考えると、言い換えたら永遠とも言えそうですね。
普段は忘れがちですけど、わたしたちは一人一人かけがえの無い体験の中で生きていたんですね。

今日も一日生きられたことに感謝します。
ありがとうございました。