うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた当事者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

誰でも出来る簡単な自分の変わり方

上司との喧嘩別れ。回避する方法はないですか?――DMM亀山会長の人生相談 | 文春オンライン

なぜ上司は理不尽なんだろうか?

わたしなりに考えると、日々の部下であるあなたの態度や行動の積み重ねによって生まれた不満が上司の側にあるとしたら、やはり部下であるあなたの反論クセが日常から上司のストレスの元になっていることが想像できます。
日頃の行動や思考(認知プロセス)、受け取り方などのクセが仇となったのでしょう。
狭い範囲での因果応報とも言うべきか。

『日々の体験を振り返り、行動の動機を見つめ反省する』
ということを習慣化しましょう。

往々にして、何か理不尽な出来事などのいわゆる“苦しみ”という体験として現れることの中に、自らが成長の種がある。
それに気づき、誤っていたことについて反省し、行動を変える。
この繰り返しを日常を通して行い続けることで、わたしたちは確実に成長してゆくだろう。

別な言い方をすれば、そのことにどうしようもないと無力を認めて戦うことをやめ、受け入れ反省することで手放す。
その後、現実において行動が自然と変わる、もしくは慣れてきたら気づきとともに自ら変える。

進んでくると、リアルタイムでぱっぱぱっぱと変化することが可能になる気がします。
わたしはまだその途中ですけどもね。

もっと言うと、部下であるあなたの『“怒り”の本質を見つめる』という手段もあります。
これをやるには生まれてから現在までの個人のライフストーリーを振り返ったりする必要があるでしょう。

わたしはこれをやり方をその都度学びつつやっている最中です。
最近はこれを結構なペースでやり続けています。

そのうち、性格が丸くなりますよ。
怒りが手放されるわけですからねw

もっというと、“人格統合”なんてことも起きる。
わたしは一度、イメージの世界で体験済みです。
わたしの師匠も彼なりのイメージで体験したことを分かち合っていただきました。

とはいえ、日常を通して様々なことがあってまた新たな怒りなどにとらわれますから、何度も繰り返し繰り返しやって行きます。

これをやることがわたしにとっての人生です。
もはや、人生を通しての修行である。
人格(魂)を磨くためのね。

以上、
『誰でも出来る簡単な自分の変わり方』
でした。

失敗と後悔を大切に生きよう

若いうちに無理をして経験する必要のない7つのこと | BUSINESS INSIDER JAPAN

本題に入る前に若いうちに経験(体験)すべきことの答えが書いてあったw

> 誰にでも後悔はある。

これがまさにとても大切にすべき体験だとわたしは思う。

そのときどきに見あった失敗や後悔を繰り返すことでわたしたちは成長してゆくのではないだろうか。
成功するために華々しいことをやるよりも、実は大切なことなのではないでしょうか。
たとえ自分なりの成功を目指すにしても、その何倍もの努力と経験を積み重ねる中で、来る日も来る日も何千回も何万回も後悔や失敗を繰り返し試行錯誤の連続を生きた方が、より中身の濃いところへと辿り着くのではないかとわたしは感じます。

あなた(やわたし)以外の誰かになろうとする必要など無いんだよ。
あなた(やわたし)らしく泥臭く雑草のように生きることを諦めさえしなければ。

生きるために“自我”が必要だったのはわたしたちがまだ子どもだった頃までだ。

恥ずかしがってる場合ではなく、みっともない自分をもっと晒け出さねばのぉ。

依存症とわたしと自助グループ

「地獄の底」に希望の光――アルコール依存、女性の軌跡 - Yahoo!ニュース

うつ病であると同時に依存症でありACでもあるわたし。
病気であることに変わりはないのだが、中核にACというものがありそれがうつ病(というよりはどちらかというとストレス障害ぽい)や依存症に発展したという風に理解するようになった。

今風に言えばACは愛着障害だととらえ直すこともできる。
そういった意味ではわたしはいわゆるパーソナリティ障害(正確には障害ではなくDisorder)の範疇にあったとも言えるだろう。

どうあれ、これ全部様々な角度から眺めた場合の病気の呼び名にすぎない。
病名はときの研究結果や社会的な状況によっても変化するもの。
ですから、病名にはこだわらずに治療や回復に取り組むことが大切です。(←ここまで具体的に言語化できるようになる前からこの認識はいつの間にか持っていましたから、これに則って積み重ねてきた。専門家の方もよくおっしゃってます。)

依存症は個人の意思の弱さが原因なのではなく、個人の意思を超えて止められなくなる病気です。
そして、これと同時にミーティングでの分かち合いを通して確実に回復につながる病気でもある。

回復している仲間を信じ取り組みさえすれば、豊かな人生が開けるでしょう。

引用↓
> アルコール依存症は飲酒欲求をコントロールできなくなる進行性の病気だ。

> 2013年の厚生労働省の調査では、国際診断基準ICD-10によるアルコール依存者数は109万人にのぼることがわかっている。しかし、治療者数は5万人に満たない。さらに家族が問題に気づいてから本人が治療に来るまで、平均して6年もの期間がかかっている。本人や周囲も「病気」であるとの認識が持てないことが問題だ。成瀬さんはこう話す。
「コントロールできないことが症状なので、必要なのは叱責ではなく適切な治療です。自分の意志だけではやめられないため、医療機関や専門機関に相談してください。早く治療すればするほど効果的です」

わたしもACAという自助グループに通っている当事者であり通ううちに依存症(と同時に、どちらかというとベースとなると言われている人格傾向のACも)を自覚するようになりました。
ちなみにわたしの依存対象(アディクション)はアルコールではありませんが、地域のオープンで開催しているAA(アルコホーリクアノニマスアルコール依存症当事者の自助グループ)にもちょくちょく顔を出しています。

ごくたまにNA(ナルコティクスアノニマス:薬物依存症当事者の自助グループ)にも顔を出します。
彼らから一人の“仲間”として受け入れていただきましたが、最初は複雑な心境でしたが徐々にわたしのような存在を受け入れていただけた感謝の気持ちが芽生えてきました。
また顔を出して分かち合いしてきたい。
彼らのハードな体験ほどではないですが、どこかわたしと似たようなものを彼ら仲間から感じることが多くありました。
何よりわたしの体験していないことを聴くことにより、わたし自身の体験の幅が広がる感覚がありますし、だからこそ学び多き機会です。

ちなみに規模や人数はさほど重要なことではない、ということにも気づき出しています。

わたしはアルコールでも薬物の依存症ではありませんが、目の前にそれらが無かったからそれをアディクションに選らばなかっただけですから、ひょっとしたらわたしもそれらの当事者の道を歩む人生があったかもしれません。
これはAA、NA双方参加して感じるようになったことです。
もちろんACAでの分かち合いの中でもこのことを発見するおおいなる気づきの一部が与えられたことは事実でしょう。

まだまだ半端にしか回復していない依存症当事者としてのわたしですが、しかし、記事にもある通り回復とは回復し続けることであると捉えると、半端であれ回復を実感するようになってきたのは事実です。

わたしの通うホームグループであるACA、オープンで参加させていただいているAAやNAの他にもGA、SA、EAなどもあるようです。
全て同じ12ステップや12の伝統を用いたグループですので、いつか機会があったら足を運んでみたい。

ちなみに、激しい苦しみの中をサバイバルしてきたわたしの師匠なんかは、もはや禅僧のようでもあります。

煩悩の世界ですから、仏教との親和性も高いのは当然ってことかもしれないね。

今日も振り返りの中で一つ、
ハイヤーパワーより与えられた苦しみを拒絶せず受け入れ実際に行動に移すことによって、わたしの回復が促されるとともに新たなフィールドが目の前に現れてゆく』
ことに気づくことが出来ました。

薄々このような気はしていましたが、思いきって勇気をふりしぼって出た行動が、現実を変えつつあるという実感が出てきました。

長いスパンで振り返ってみても、成長の新たな段階の前には必ず『苦しみ』が与えられ、それと自分なりに向き合い行動に変えることで新たな存在として生まれ変わり続けたのだなということがはっきりと分かります。

これまでもそうであったように、おそらくこれから先の人生においてもこのようなサイクルが繰り返し繰り返し波のように訪れるのでしょう。
しかし、小さな人間であるわたし一人の力では、そのような繰り返し訪れる苦しみに対して無力でしかありません。

そのときはまたハイヤーパワー、あなたのお力をお貸しください。

あなたから与えられる助けや恵みに感謝です。

わたしや仲間たち、家族、地域の人々、そして縁があり関わってくださる人々全員の平安と落ち着きを祈ります。

田代まさしは公演という公の場で“ハイヤーパワー”ってことをぶっちゃけてるけど、他の仲間は“縁”とか“他者の存在があってのわたし”などという表現でオブラートに包んで表現している。
どうするか一瞬悩んだけど、祈りの最中に頭の中でつぶやいているようなイメージでわたしも直接的な表現を用いることを選びました。

これらの“病気”と向き合うことがわたしの人生を生きるということの中核にあります。
“苦しみ”についての対処法も自助グループフォロワーシップの中に数多くあり、経験の叡知をお借りしています。

ハイヤーパワーや読んでくださったあなたの恵みに感謝です。

ありがとうございました。

わたしはコミュ症です

昨今のビジネスでは「社交性」よりも「説明能力」のほうが遥かに重要。 | Books&Apps

「社交性」と「説明能力」を両方兼ね備えている人も中にはいます。

わたしはというと対人関係が苦手すぎるためPCとにらめっこする職に就いたはいいものの、コミュニケーションというものを非常に重視している会社に入社し、入社前研修での対人関係のストレスからうつ病(振り返るとどうやらストレス障害っぽい)を発病した、真症の『コミュ症』である。
やだやだw

その会社にいた頃はコミュニケーションについて悩みあぐねてはいましたが、具体的にどうこうして能力を伸ばす手立てすら分かっていなかった。
しかし、それなりに職に就いては…ということを繰り返しながら、現実の対人関係からは逃げてばかりいた。
主にネットの世界に逃げていたね。
チャットから入りやがてネトゲにとっぷりと浸かることになる。

コミュ症ながら他者とつながりたい願望は昔から人一倍あったようで、文字を通してのコミュニケーションは欠かさなかった。
おかげで周囲の知人から「おまえのメールはなげぇよ!」と悪態つかれることが幾度となくあったw
まあ今ではある程度受け入れられるようななったため、自らネタにするぐらいになりました。

あれから10年以上が経ち、それなりにちまちまとネットでコミュニケーションとは何ぞや?ってテーマで読んでいたはいいが、いかんせん現実の世界で行動に移すということはあまりやってこなかったため、頭でっかちを地でいくような始末。

人生が底を尽きてからですね、徐々に現実の世界でコミュニケーションの練習を積み重ねるようになったのは。

わたしは理屈から入った口ですから「なぜわたしはコミュ症なのか?」とうことをざっくり説明できそうだということからどうやら「説明能力」は有りそうだ。

しかしね、未だに恐れが強くて話し出しても自信が無いからすぐに怖じ気づいちゃう!
どうしようもないw
毎日これだw
これが他者とのコミュニケーションのネックになっているのは分かるんだけど、怖いものは怖いw

最近では気づいたときに「あ!やべっ!」っつって、その後に思いきって力を込めてしゃべるようにはしているのだが、いかんせんコミュ症っぷりは健在です。

どうやら共感力もあるらしくまるで女子のように「わかるわかる」が口癖です。

わたしにとってコミュニケーション上ネックなのは『恐れ』。
場数踏むしかないかな。
毎日修行ですよ。

今のわたしから過去のわたしへ。

ちょいと他へ投稿した文章をメモ。
今のわたしから過去のわたしに向けたメッセージ。

ま、わたし自身どう生きたらいいか悩みあぐねた果てにたどり着いた現時点での『生き方』の集大成です。
わたしの中では随時アップデート中w

ちなみに、『行動』の部分をもうちょっと練りたいところ。

もしも、思い通りの人生を生きられずどうしようもないどん底にぶちあたったとしても『いかにそれらを受け入れるか?』をテーマにし、受け入れるべきは受け入れ、受け入れがたしはさっさと捨てつつ、それらを見分ける賢さを養うようにして生きてください。
自らにとって喜びとなる大切にすべき価値観を知ろうとし続けながら、出来事や他者から学ぶように生きましょう。
実は、思い通りにならないことの中にこそ、大切なことが隠されていることに気づくかもしれません。
(わたしという一人の小さな人間に思い通りにできることなどほとんど無いのかもしれない、ということに気づく瞬間が訪れるかも?)

失敗から得られる教訓こそ学びになります。ですから、自身のみならず他者及び範囲を問わず歴史などの過去の失敗体験にはよく耳を傾けて聴いておくこと。
成功よりもむしろ失敗の方を大切に生きてもらいたい。
わたしたちが赤ちゃんの頃、ハイハイから二本足で歩けるようになるまでに、いったいどれだけ転んだことでしょう?
たとえ、何度転んだとしてもそこからまた始めなおせばいいのです。

後悔だって浴びるほどすればいい。
生きるエネルギーが尽きるほど悩むのもまた人生。
他者から「悩みすぎ」だと言われようとも、突き詰めて具体的に悩み尽くせばいい。
そのためにはよく学んでおいてください。
ま、行動もセットでね。

それと、いかに苦しい状況に晒されようとも、生きてさえいればどうにかなるものです。
誰にも理解されずに孤独の縁に立ち尽くすことがあろうとも、必ず誰かが見てくれていて、自分なりに生きようとしてさえいれば必ず助けが入ります。
少なくとも、たとえ世界があなたを見捨てようとも最後まであなただけはあなたを見捨てないでいてください。
ぜひ、生きることや信じることを諦めないで。

どのような人生だったとしてもそれはあなたにとって与えられた人生です。
あなたにとってかけがえのない人生になることを祈っています。

まあ、肩肘張らずにそれなりに(笑)

以上、ありがとうございました。

中学生のソフト化と自立(母子分離)

なぜ"不良の中学生"はモテなくなったのか | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

親子関係が濃密すぎてもおそらく今度は自立(母子分離)の過程がややこしくなってくると考えられます。
想像にすぎないですが、これが家庭内暴力の増加につながってんのかもね、という仮説。

親的な存在としてはいっそビシバシ厳しい態度をした方がいいのかもねー、というのはうっかり詭弁であったw

要するに、母親機能を担う大人は安全基地機能を担保しつつ、父親機能を担う大人は遊びや社会との接点、そして厳しさを教えるということを幅広く調和させるようにしてやればいい。
(多少ハードかもしれないが、一人の人間がこれらの機能を満遍なく担うことも積み重ねによって可能になるのだと思う。)

ということで、やっぱもうちょいハード寄りの機能(厳しさ)を増やしたらいいんじゃないかしら。

↑他者を甘やかしすぎる傾向を持っていたわたしにとって『厳しさを増やす』ということは一人の人間としての課題でもあります。
が、なんか最近の巡り合わせによって、わたしの中のシャドウ(劣等感、過去の心のキズ)がいい働きをしてくれていて、態度に厳しさを内包するようになってきた。
しかし、思いやりを持ちそれを行動に移して具体的にフォローすることも忘れてはいけない。
なぜならば「わたしが相手を傷つけて(蔑ろにして)しまった」ことから生まれる罪悪感を減らすため。
相手がどうかというよりは、主体的にフォローするという行動によって、わたし自身の気持ちを安定させる(赦す)ためとも言い換えられる。

あらかじめ相手に対する不満を自らの内で事前に赦しておけば、厳しい態度を取らずにいられるようになるかもしれない。
理想を言うとそこまで発展させた方がいいんだろし、面倒だけど次のステップとして試しにやるか。
正直煩わしいんだけどさw

そこまで進めたら、恐らく厳しくした後の相手への罪悪感も減る。
そして、これまでの反応に任せた形での厳しい態度や行動は減り、しかしあえて他者にはっぱをかけて気づきのきっかけにするときに落ち着いた中から選択して行動に出せるようになるでしょう。

間に一つ赦しを入れる習慣から取り入れてみようと思う。
ま、完全にれないのは目に見えてますが、やるだけやることで対人関係の質の精度を高めて行かねばの。

己が変われば相手も変わるもの。

こういうことが日常を通して実行する、わたしにとっての修行であり生きることであります。

スピリチュアルヘルスと日本人の健康

日本が「長寿大国」と言えなくなる日。ハーバード大教授に聞く、深刻すぎる理由

スピリチュアルヘルスのについては、更に土台になってるような気がする。
日本文化や環境の中には当たり前のように神仏の存在や儀式が行われていますから、足下にありすぎて認識にすら入ってないのでしょう。
中には意識して生活を送ってらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、減りつつあるのかもしれませんね。

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