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うつ病を生きる

うつ病と共に18年間歩んできた患者が『生きるとは何か?』について真剣に考えるブログ。

小児性愛の「治療」に取り組むドイツのセラピープログラム

小児性愛の「治療」に取り組むドイツのセラピープログラム 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

頼れるリーダー像とコントロール

blog.tinect.jp

引用↓↓↓
> -今日は、どのように気持ちを落ち着かせて、立て直していったか
>
> 浅田真央:いろいろあったけど、1つずつ今までもクリアしていったので、今回のこの試合もジャンプ1つ1つを、クリアにしていきました。

わたしはいつしかこういうことを確かめるようにして生きているんですけども、↑の逆風の中でもこの境地に居られるようになるためには、自らの人生の中で似たような体験を通して何度も繰り返し続けることによって、怒り悔しさなどの感情的な反応は置いておき、『今できる現実的な行動の積み重ねが具体的な変化をもたらす』、ということを見いだせるようになっておくとベター。
感情に対する手当ては後からでもやれる。
リアルタイムに対処するのもいいけど、われわれの生きる日常ではそれに労力を注げる時間的なリソースは限られている場合がほとんどなのではないかな。

厳しい現実に崩れ落ちそうになったら、他者のそのような態度と接することによって力を得るのもまたいい。
わたしもよくやる。

更に引用↓↓↓
> 他人に何かを命令してやらせたり、自分の存在をアピールするのが「リーダーシップ」だと勘違いしている人は、少なくありませんが、こういう「いつも変わらない人」こそが、「苦しいときに頼れるリーダー」なんですよね。

> この3人のリーダーたちの共通点は、「結果が出ないとき、厳しい状況に置かれているときでも、怒りや無念を露わにすることも、周囲の沈んだムードに流されることもなく、ただ、そこで自分がやるべきことを、いつもと同じように確実にやっていく」ということです。

この態度を身につけるためにまずは、『現在のわたしの使命』を見いだしておければベター。
使命だと感じることはその時々によって変化してもいい。
それが念頭にあれば、心が乱れてもまたもとに戻る力が働く。
昨今流行りのことばをあてがうと『レジリエンス力』。

それと、他人に何かを命令してやらせようとする背景には、『他者を意のままにコントロール』したい願望が潜んでいることがある。
それは、現状満たされぬ自我を補うべく、生まれる他者への依存的な執着だとも言えます。
そもそもこのような動機が薄くとも、他者へ命令するというコントロールの行動をとることにより、執着が生まれるということもある。
どちらにせよ、これが常態化してしまえば、依存関係に発展していまい、個人も組織も不幸の道へと歩むことは明白です。

なぜかというと、思い通りにコントロールしたいという意思があったとしても、そんなことは現実的には不可能だからねw
表面的にそのようになってたとしても、それは建前であり幻想。
そのような状態をもって、満足しちゃうのもた危険なの。
なぜならば、コントロールされた方につのるは不満ばかり。

それに気づいた時点ですぐに他者をコントロールするこめはやめること。
見かけ上の権威がある人ほどこのことには注意深くあろうとしなければならない。
このことは、ときの権力者の犯した過ちによって、既に数々の歴史が証明していることでもあるのです。
時間軸や規模が違えどその組織を構成するのは、われわれと同じ人間であることには変わりはない。

精神的に未熟な人ほどこの罠に陥りやすいですから、ご注意あれ。
っつーかこれぐらいわかんねーのならリーダーやんなよ、ってぼやきたいぐらいだぜw

わっはっは。

闇を見つめることの大切さ

f:id:zxmisia:20170415160844j:plain

うーむ。
さっきシェアしたニュース。
暗い話題で、周囲には煙たがられるのだろうなと、自意識過剰にもふと思った。

どちらかというと、わたしは夢や希望というよりは、『闇』に焦点を当てた方が自分を保てるような気がしてきた。
それも、わたしの抱えている大きな『闇』を通して感じるものがあるからなんでしょう。

世間では夢だ希望だともてはやされる傾向がありますけども、それもそれで大切なことですし、生きるためには必要なことのうちの一つだとは思うのですけども。

しかし、大切なのは、夢や希望が担ういわば『光』の部分だけではないのだということに気づいた。
以前から薄々心の中にあった認識なのだが、ここ最近になってより確信が増してきた。

もっというと、大きな夢や目標というものは、その真逆の境遇が生むものだということも以前から体験的に実感しているのではありますが。
だからこそ、その大きな光たるものを生んだ『闇』のことを蔑ろにしない態度が必要なのだとわたしは思う。
光と闇の共存、調和。

よく、世間やFacebookなどでは、暗い話題が忌避されがちである。
それもそのはず、暗い話題は気分を害することの方が圧倒的に多いでしょうから、そんなものにわたし含む人間は近づきたくないですからね。
うっかりしたら、友達を失うかもしれない『恐れ』を抱くのは道理でしょう。
(正直に申しますと、さっき、これを書く前にわたしの中にもこの『恐れ』がわいたのは事実。
実は、わたしの中にわいたこの『恐れ』と向き合うべく書いています。
ま、わたしは失うほど友人は多くありませんので、さほど大きな恐れではありませんけどもw)

しかしである。
この恐れを乗り越えて、わたしは行かねばならないのである。
実はこの恐れは幻想であるということにも薄々気づいてはいて、あのような暗いものに焦点を当てた話題は、わたしにとっての至高の学びとなるのです。

それもそのはず、わたしはずっとうつ病を抱えて生きてきて、それまでの医療ではどうにもならなくて、うつ病愛着障害、パーソナリティ・ディスオーダー、発達障害統合失調症などなど、一般的には忌避されがちな話題に飛び込み、知ろうとし続けることによって今わたは生かされているという事実があるのです。
結果的に医療とはつながっていますが、それも含めて自己流ではありますが『うつ病の代替え医療』ともいえるべきものを見いだすに至った。
過去の尊い『知恵』たるものを結集させた結果です。

諦めずに自らの病について知ろうとし続けた結果、どうやらそれが“わたしらしさ”の獲得へとつながりつつあり、そしてそれらからは『人間とはどういう存在なのか?』ということも教えていただいています。
長い間人間嫌いを生きてきたおかげで、コペルニクス的転回を見せるかのようにして、実はわたしはとてつもなく人間好きなのだということも分かりました。

これからも目を覆うような話題を垂れ流すかもしれませんが、どうぞみなさんお付き合いいただければ幸いです。

世界に一人ぼっちの孤独感

susumu-akashi.com

 

いきなりですが引用↓↓↓
> ある若い男性が自らの暗い経験を次のように記述している。
>
> 「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる……自分が存在しているのかどうかさえわからない……みんなは花の一部なのに、僕は未だに根っこの一部だ」(p133)

身体に閉じ込められたトラウマ:ソマティック・エクスペリエンシングによる最新のトラウマ・ケア

わたしも数年前に似たような主観的な感覚に包まれていた時期がある。
わたし的には、
『まるで世界にわたし一人しか存在していないような果てしない孤独感』
と、よく表現しています。

大切な人を亡くした体験にまつわる“トラウマ”に直面した後、これを体験した。
(しかし、シェアした記事にあるように生まれてからずっと虐待的な環境にあったわけではないですから、わたしの苦しみより虐待をサバイバルしてきた『彼ら』の苦しみの方がより深いであろうことが想像できます。)

そんなわたしも、本読む限りでは<愛着障害>に該当してるなと直感で感じたものです。
愛着パターンは<不安/恐れ>の混合型。
ま、混乱していたと言えるのではないか。(<混乱型>なんてあったっけ?あー、確か<無秩序型>なんてあった気がするな。それかも?)
パーソナリティ・ディスオーダー(パーソナリティー障害)でいうと<回避性パーソナリティー障害>に該当。

そして、ADHD(ADD)的で発達障害的である。
内向的か?外交的か?で言えば、『徹底的に内向的』でありかつときとして『社交的』なように振る舞うことも可能である。
極めつけに、わたしは医療機関からは、『うつ病』『神経症』『適応障害』『社会不安障害(いわゆる神経症)』という数々の病名を頂いてきた。

そんなわたしは古くて新しい<アダルトチルドレン>にもどうやら該当しそうだぞ、ということで『ACA』という自助グループに参加している。
(参加者でありつつ地域のグループの代表の役も担ってもいる。が、わたしは参加者であり対等。)

わたし自身ずっと自分に対して『内向的』だという認識を持っていたのだが、どうやら違ったようで、『内向的かつ外交的』という相反する特性が同居しているようであることが分かった。
昔から科学が好きで、学校ではITを学び職にも選んできたし、最近では自分の抱える問題と向き合わざるを得ない状況に追い込まれてから読み出した心理学とも相性がいいようだ。
なぜか知らないが理解できるのであった。
しかし、日常では論理的思考ベースに行動しておらず、直感的なものを便りに行動している。

男性に違いないし恋愛対象も女性ですが、知り合いの女性から『ほんま女子やなぁ』とリアクションをいただいたことがある。
そのときに購入したアクセサリー(ピアス、ブレスレット)やドリームキャッチャーに対して、恥ずかしながら心踊らせながら「きゃっきゃうふふ」してるメッセージを送ったときの反応である。
内面はとても女性的であり、母性のような包容力にあふれていてどうやら共感力にも長けているようなのだ。

わたしの自己紹介は以上w

シェアした記事の最後の章、
【理解を越えているということを理解する】
をぜひ読んでいただきたい。

引用↓↓↓
> サバイバーたちが「人類から切り離されて、宇宙でひとりぼっちのように感じる」としても、またどれほど高い文化の壁、理解の壁があるとしても、互いの文化を尊重できる人たちにとっては、国境を越えて理解を深め、心を通わせていくことは可能なのです。

わたしの意見ですが、日常においてもそもそも自分と違う人生を生き違う体験をしてきた他者を、自らの体験や知識を通して理解することは不可能だと思います。
同じ文化や地域、会社組織などある程度自分と似通ったコミュニティで生きてきた人たちのことは、共通点が多いからこそ理解できた気になっているだけなのです。
細かいところは、実は丁寧に対話を重ねてみると違っていたりするもの。
マインドフルネスのエクササイズするとはっきりと分かるんですけども、日常でも他者の感じたことと自分の感じたことを丁寧に照らし合わせてみると違うもんだなーということが実感できるのではないかと思います。
実際にそうなんですよ。

ですから、頭で理解しようとするには無理がある。
ではどういう風に理解するのが理想的か?といいますと、
『他者の体験は他者がリアルにそれを体験した実感として捉える』
という風にしてわたしは理解しようとしています。

これは、自助グループのミーティングでなされる『分かち合い』そのものです。

大切なのは、ある一定の価値観に照らして“否定”や“批判”はせず、他者の体験を他者のリアリティとしてありのまま受けとるようにすること。
要するに、相手を尊重するってことなんだ。
それができるには、自分のことも尊重しておかなければならない。
自分の体験をありのまま受け入れ尊重できるからこそ、相手のことも尊重できるようになるものです。

繰り返しになりますが、ありのままの自分を感じることができるからこそ、それを通して他者のこともありのまま感じることができるようになる。

実は他者を通して感じているのは、紛れもなく自分であり、だからこそ他者と体験を分かち合うことを通してわたしという人間の体験を補完することになります。
こういうことを繰り返すことで、わたしたちはより全体性を備えた人間へと成長することができる。

もしも、他者の体験に対して猜疑心や批判的な気持ち(怒り、恐れなど)がわいたとしたら、それは自らの無意識の中に受け入れがたい存在があり、それを通して他者を感じているということが言えます。
そのときは、飛躍のチャンス。
自分なりに深堀りし、どのような体験を通して何が傷ついたのか、自らを知り自らを助けようとすることを通して自らを許してあげるのです。
その傷付き体験に、無力を認め、そのときの感情を追体験して手放し、受け入れ、そして許す。

最初は大変ですし、そのうち大きな傷付き体験がフラッシュバックしてくることもありますから、圧倒されてしまうかもしれません。
しかし、慣れてくると、日常を通してコツコツとやれるようになります。
ここまで進めば、不満やストレス、何故かは知らないが感じていた罪悪感も減り、徐々に生きづらさも減ってくることでしょう。

そして、極めつけは、自らの過去と向き合い受け入れ弱い自分を許し続けるプロセスを通して、自らが何者としてこの世界に生み落とされた存在なのかにも気づけるようになるのです。

ですから、表面的には、
『自分とは違う他者をありのまま認める』
ということをやっているようでいて、実はより深い部分ではそういうことを通して、
『自分と出会う』
ということを無意識にやろうとしていたということなんですね。

そして、これは何を意味するかというと、
『自分にとって何が大切な価値観で、何をしたら幸せになれるのか?』
ということが分かるということなんですよ。

世の中には「自己実現とは何か?」とか「幸せになるにはどうしたらいいか?」とか「どんな目標を立てて実行したら夢が叶うか?」なんて情報が数多くあると思います。
しかし、誤解を恐れずに言えば、努力してそういうことをする必要はないということなんです。

特別なことをしなくても日常を通して簡単に誰でもできることを通して何をしたら幸せになれるか分かるようになるなんて、すごいことだと思いませんか?

『自らの弱さを直視し向き合う』
ということは多少ハードルが高いかもしれませんけど、
『他者を分かろうとする』
ということは今すぐにでも簡単にできるのではないでしょうか?

何もいきなり虐待を受けて育った人の体験を分かろうとすることはなく、手始めにもっと親しい相手から始めてみてはいかがでしょうか?
少しずつハードルを上げてゆけばいいのです。

続けていれば、必ず効果が出ますから。

もっと具体的に知りたいという方は、連絡でもいただければw

わたしの心の師匠。

今日、久々に師匠に会えることになった。

そんなお互いのあいことばは『生きてる?』。
究極だよw
わたしの答えは決まって『かろうじて』。
生き残ったことがもはや奇跡なのです。
主観的なものだけではなく、客観的にもそう。

わたしたちは『何かの力によって生かされている』のだな、という実感があるんですよね。

わたしたちは、年齢も境遇も違えど不思議な縁でつながった、死ぬ思いしながら必死に生きてきた者同士であり仲間。

まー、何気ない日常のフィールドが我々にとってはサバイバル場ですので、それも考え物なんだけどね。
だからこそ、もっと生きやすい環境を作らねばと燃えるわけ。

晩飯食いながらまた深い話ができると思うと楽しみである٩( 'ω' )و

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共鳴する生命とかたち—ルパート・シェルドレイクの冒険 | 科学の忘れもの

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